なんでこんなに
オイタル

 なんでこんなにウクライナのことを考えなければならないのか、わからない。でも気になるんだな。それで書きます。こんなに年取ってて、嫁姑戦争(冷戦から熱戦まで)が続く家の中で永世中立を決め込む(もちろん不慮の被害のありそうなときのための自衛手段も持ってるけど)俺が偉そうなことも言えないけど。ここに書いたことに文句のある人はいっぱいいるだろうけど、俺は批判を受けるのはとても苦手なので、もしきついお叱りがあったら無視させてもらおうと思います。

 俺はネットでよくロシア寄りの意見を持つ人の記事を読んでる。なんでかっていうと、反ロシアの人の意見はテレビなどでいやというほど見てるから。

 ロシアは山ほどフェイクニュースを流しているのかもしれないけど、欧米やウクライナだってたっぷりフェイクを流している可能性はあるだろう(なにしろ、テレビのコメンテーターが「情報戦ではウクライナが勝っていますね。」なんていうくらいだから)と思うのだけど。

 情報戦情報戦っていうけど、情報戦も戦争なんだったら、なんで「(情報)戦争反対」って言わないのかな?

 俺は「戦争反対」だけど、「戦争反対」がいつのまにか「ウクライナがんばれ」にすりかわらないように(もちろん「ロシアがんばれ」にもならないように)、気を付けたいと思っている。

 ウクライナのブチャというところで民間人の大規模な虐殺があったというニュース。「戦争犯罪だ」ってあっちこっちで言っていた。本当に犯罪だったら「現場百遍」で充分調査を重ねる必要があるんじゃないの? ロシアは「フェイクだ」って言ってるんだろうけど、ロシアの報道もウクライナや欧米の報道も、なんでそんなに簡単に信じられるのかわからない(湾岸戦争の時だったか、アメリカ議会で証言したフェイク少女や、油まみれのフェイク水鳥なんかがいっぱいあったじゃないか。)フェイクや陰謀なんかその辺にごろごろだぜ。ゴキブリは一匹姿を見せれば、その陰に何匹いるかわからないんだ。

 「室町」さんが書いていた文章にリンクしていた原爆投下に十字を切るプーチンの映像を見た。きっとそのときは戦争とそれにまつわる出来事にひどく胸が痛んだろうなと思った。でも、何年たっても気持ちや人柄が変わらないとは限らないだろう(変わるとも限らないけど)、と思ってしまう。

 ロシアのプーチン支持の人は、地方の、高齢の、貧しい人たちが中心だという(ソ連時代の方がましだと思っている人たち、なわけだ)。なら、反プーチンの人っていうのは、都市部の、若い、「金持ち」っていうことだ。「金持ち」って、軍需産業なんかで儲けてる人のこと? って思ってしまう。

 四月の頭あたりだったか、ロシアの軍用機を撃ち落して大はしゃぎしているウクライナの(たぶん)若い(たぶん)兵士の映像をテレビで見たが、どういうことかと思った。民間人の虐殺ってみんな言ってるけど、兵士なら殺されてもOKって思うんだろうか。

 何日か前にテレビのコメンテーターが「これからロシアの大規模な攻撃によって、ウクライナ軍はどれくらい持ちこたえられるんだろうか。」みたいなことを言ってたけど、持ちこたえてる間に、ウクライナ兵も民間人も(もちろんロシア兵も)どんどん死ぬっていうことだよな、と思った。もう「戦争ありき」の上の、「評論」だよなと思う。

 かつて、「加川良」っていう人が、『教訓Ⅰ』っていう歌を歌っていたそうだ。「命はひとつ 人生は1回 / だから 命をすてないようにネ / あわてると つい フラフラと / 御国のためなのと 言われるとネ / 青くなって しりごみなさい / にげなさい かくれなさい」

 「祖国のために」って語るウクライナの人たちを再三テレビで見て(徴兵を逃れた人たちの記事なんかも見ながら)、この『教訓』を忘れないようにしたいもんだ、と思う。いいんだ俺なんか、「非国民」で。

 (でも、そろそろウクライナ紛争も、賞味期限の来たニュースになってるのかな。まさか)


散文(批評随筆小説等) なんでこんなに Copyright オイタル 2022-04-15 21:14:33
notebook Home 戻る