ラブソング
ひとつの風景の前に立つ
触れそうで触れない
右の肩と左の肩
あなたはわたしの
わたしはあなたの
鏡像――大地の無意識から
掘り起こされた太古の心象
願望に歪みふくらみくびれ
忘却により美しく損なわれた――
盲しいた眼差しで愛撫して
唖者の唇で触れて測る
わたしたちは語り合う
アルカイックなモノローグ
とても朴訥
無意味にも意味深にも聞こえる
ことばを覆いふくらむ声が
煙の獣のよう
鎧兜のすき間から侵入する
うす暗い回廊から
花咲く庭を見つめている
性の媚態の代わりに
二人はそうして来た
これからもずっとそうだろう
互いの深みに潜むモビディクに
人身御供を模した疑似餌
永久に結ばれず永久に睦ましく
見知らぬ他人のまま
恋人より双子より近く
肩が触れるか触れないかの
無限の断絶を挟んで
ひとつの風景の前に立つ
そうして記号は展開する
混沌から浮かび上り
どこか必ずかけた整合性
死んだ渡り鳥に弦を張って
深々と手を差し込んで
書きたいことも書くべきことも
つがいの鴨がなにか啄んでいる
雪のまだとけ残る 葦も水草もない
小さな川の澄んだ流れ
橋の上から眺めていた
水底のかたちに膨らむ水とまろぶ光のほか
なにもなさそうな冷たい浅瀬
なにを啄んでいる?
――なにもないさ
ただなにかを見つけたくて必死なだけ
自転車
自転車は嫌いだ
歩道を歩けば轢かれそうになる
車を運転すれば轢きそうになる
自転車をこぐ少女を見るのは嫌いじゃない
好きなのはただ自転車をこぐ影だけが
夏の光の中を過ぎてゆく
あのひんやりした一瞬だ
だが自転車は嫌いだ
やたらとパンクするし
チェーンが外れると直すのが面倒だ
健康促進やスポーティーないでたちで乗るのを見るのは
仕事や配達で乗っているのを見るよりももっといやだ
「明日に向かって撃て」のあの場面で
自転車は終わっていればよかった
自転車を乗って良いのは小学生まで
そんな法案を提出する政党はないものか
ああ書き始めた時よりもいっそう
自転車が嫌いになってきた
自転車のタイヤを回すくらいなら
運命の糸車を回すべきだ
自転車のサドルに跨るくらいなら
三角木馬に跨っておまえに鞭打たれたい
自転車と交尾するなんてありえない
自転車にさらわれた子どもたちのために
大人はもっと本気で怒るべきだ
真っ赤な時計を齧ってみろ
葱だ! 葱によって打ちすえろ!
未来のために脳を鍛えろ
坂の上の未来から脳を転がして自転車を破壊しろ
水牛の角で過去から襲いかかれ
餃子だ! 餃子にしろ! 京都は碁盤の目だ
おれは自転車の首を絞める
自転車に淫らな旗を立てての解体ショーだ
部位ごとに塩漬けにして白夜のあいだ犯してやる
おれはおれの嫌いな宮沢賢治の肩甲骨で
自転車と象の性器とバンビを殴った
サトウキビと百日紅が夕陽に揺れる地獄の笹舟だ
ひるむな! ベルが鳴っても信号が変わっても
白いハンドルを捻り上げろ!
過呼吸の鶯が体液に溺れていた
自転車は自殺する自転車は自決する
虎穴にいらずんば・虎穴にいらずんば/虎穴に/虎穴に
いらずん・イラズン・いらずんば掻き鳴らし/瓦解せよ
自転車も・鳴かずば・ナカ・ナカ・ナ・鳴カズバ/もっと/
もっと歌えまい! エモーショナルにボクは自転車ガ好キダ!
ぼくは打ち上げられたシロイルカの脇腹の深く裂けた傷の中
通りすがりのママチャリから引き抜いたサドルを抱いて寝た
あの夜サドルはサルバドール・ダリの顔でのけ反って
液化した言葉を零しそれはぼくの肉体で糸を引いていた
あれはオクラとイクラの和え物
バイセクシャルでバイリンガルなバイスクル風の
人力車だったのかもしれない
太陽の中で消炭のアイコンへ変り
サイフォンは砕け散る
棚から牡丹餅が落ちるくらい見事にだ
ああ直立する不動の無知よ
明日ぼくは
父になって辞典者リンリンしたい
たましいなんて
毬栗や雲丹の中身が最初から空だったら
それは奇妙なことかもしれないが
人のたましいとはそのようなもの
本来曖昧で空虚そのもの
だからこそ
人は分厚い外殻が欲しくなる
世迷言をつぎつぎと生やして
固く鋭く巡らせて
やがては兜と鎧
ゆるがない真理で理論武装を試みはするが
実感とか体感とかはしょせん曖昧な思い込み
分泌物の成せる業か
昂奮も覚めるとどこからか
スースーした不安が吹き上げて来る
たましいは空虚に過ぎないが
人は毬や棘で覆われた
殻の厚みこそがそれだと思うから
理屈を人にうまく説明できれば
とりあえずの安心を得る
言葉の上では不沈空母の如く
なのにいつもつかみどころのない
寒々しさは防ぎようもなく
自分の真中を巡っている
本の中で行方不明になった栞
荒れ果てて見つめている
月のように
足のつかない
すべて半開きの
声が迷ったまま
蔓草のように震える
青い頸動脈
光は展開した
石灰質の土手
男の連れた犬
その黒い尾の浮遊
桜の樹を嗅いで
花芽は瞑っていた
胎は先の宙
悲哀を宿し
発語の陣痛が
垂直に折れ曲がり
惜しむ間もなく
壁画を去る影
太陽のマスク
あらかじめ握っていた
石化した時間
万力のように
頬をたどる風
受け身で訪ね
呼ばわる名も知らず
塩の大地に倒れたなら
思考は気化し
肉体は記号化するか
そう言って真っ向から
ひややかな照明
《2022年4月3日》