老師の話
ホカチャン
「私の寺は、中国山地の山中にあり寺のまわりを熊がうろうろするような所にあります。ダムができるときに、住民がたくさんいなくなりました。私の小学校の同級生は十名足らずでした。ところが統合されたスクールバスで通う中学校は全校生徒千名ぐらいの大きな学校でした。人に酔うということを初めて経験しました。大人数の学校になかなか慣れなくて図書館をよく利用していました。そこに一つ年上の先輩もよく来ていました。目付きの鋭い怖そうな先輩で他の子たちは、大分怖がっていましたが、私は不思議と怖いという印象はありませんでした。そのうちに向こうから話しかけてくるようになりました。そしてだんだん見かけによらず親切な人だなあ!話がおもしろい人だなあ!と思うようになり友だちになりました。友だちが一人できると学級でも積極性が出てきて学級の中にも友だちができるようになりました。そうなりますとだんだん図書館へ通うのも回数が減っていきました。すると今度は先輩の方から学級へ訪ねて来るようになりました。学級の廊下などでその先輩と楽しそうに話していると、学級の友だちから、お前はあんな不良とつきあっているのか、あれはタバコは吸うしバイクには乗るし警察に何回も補導されているんだぞ!と脅されて今さらながらつきあうのが怖くなりました。それからはできるだけ先輩を避けるようにしました。先輩がバイクで校門に現れた時には急いでこっそり裏門からスクールバスに向かいました。町で親子三人で歩いている先輩に出会った時には心臓が震えました。お前この頃つめたくなったな!と言われたときにはただ下を向いてじっとしているしかありませんでした。そうこうするうちにある日先輩が鉄道自殺をした!という話が飛び込んできました。私はそれを聞いて信じられないという気持ちとほっとするような気持ちになりました。ある日友だちとその自殺現場を訪れました。するとそこにちょうど先輩の両親も見えていました。私はこれはまずい!と思い見つからないうちに引き返そうとしましたが、両親に見つかってしまい待ってくださいと声をかけられ追いかけてこられました。私は何かものすごく嫌なことを言われると思い身を固めていました。すると正面にこられてうちの息子が大変お世話になりました。やっと友だちができたといってあなたのことをよく話していたんですよといわれ頭を深々と下げられました。」
このような話をされた後に
道元禅師の「愛語よく廻天の力あり」といわれました。