詩の日めくり 二〇一九年十二月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年十二月一日 「日付のないメモ」


 飛び降り自殺する直前に、窓の外から覗く、さまざまな部屋のなかにいる人間のことを書くというのはどうか。トラックにひかれそうになったときの時間感覚のことを思い出して思いついたのだが。


二〇一九年十二月二日 「日付のないメモ」


 中学のときに、友だちの家に遊びに行ったのだが、友だちのお母さんが、友だちに、お父さんが浮気をして帰ってこないと言ったときに、友だちの顔がそれまで見たことのないような顔をしてたことがショックだった。瞬時に魂が抜けてゆくように表情がなくなっていったのだった。


二〇一九年十二月三日 「西原真奈美さん」


 西原真奈美さんから、詩集『待たれてあるもの』を送っていただいた。しずかな言葉のたたずまいが真摯で、読み手のこころも凛となる。「父としっぽ」という作品にあるユーモアが、凛としたなかでは、ほっとさせるものだろうか。清潔な言葉の在り方を思わしめる詩集だった。


二〇一九年十二月四日 「海外進出」


 ジェフリー・アングルスさんから、2冊の詩のアンソロジーを送っていただいた。2冊ともに、ぼくの詩の彼による英訳が掲載されているもので、『LOVEJETS』と『Tokyo Poetry Journal』の2冊だ。海外で有名な詩人さんたちにはさまれて翻訳されているのは、とてもうれしい、ほほえましいことだと思う。


二〇一九年十二月五日 「2011年4月6日のメモ」


 中学のときに、はじめて自分で服を買った。紺色のセーターだったのだが、腰のあたりがフリルのようになっていたのだ。パパに、「オカマみたいや。」と言われた。しかし、それを意地で着つづけていたわたしだった。もちろん、友だちにも「オカマ」と言われた、笑。


二〇一九年十二月六日 「2011年4月6日のメモ」


 ぼくが中学のとき、親が祇園の家を改修するために、醍醐に家を買った。不良の友だちが自転車で遊びに来てくれた。中学でタバコ吸うような不良だったけど、そいつのことが好きだった。夜中にベランダでくっちゃべっていた。夜空がきれいやった。そのとき交わした話は何一つ憶えてないけど。


二〇一九年十二月七日 「テニスン」


 これが古典のもつ力なのか。テニスンの『イン・メモリアム』、派手なレトリックもなく、平坦な叙述が連続するのだが、読むのをやめさせないのだ。といっても、まだ半分ちょっと。このあいだ、ブックオフに、テニスンの分厚い詩集が108円であったのだが、買わなかった。買っておけばよかったかな。神話劇詩みたいなの。


二〇一九年十二月八日 「パブロフズ・ドッグ」


 きょう、タワレコ行って、びっくりした。パブロフズ・ドッグの新譜が出てた。あまりにこわくて、買わなかった。PFMは、買いたかったな。しかし、世のなかには、すばらしい音楽がありすぎる。文学もすばらしい作品ばかりだ。映画もよいし。芸術に文句がある人って、いったいなにを見ているのだろう。


二〇一九年十二月九日 「ドクトル・ジバゴ」


 2年まえのツイートを読み返して、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を読んでいるいまの自分がいて、2年まえに読みたいと書いていたのだが、じっさいに読むのに、2年の間の空白があって、なんだろうな、なまけものの自分を再発見した気分だ。『ドクトル・ジバゴ』いい作品だ。重厚なうえに重厚。


二〇一九年十二月十日 「グスタフ・マイリンク」


 パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を読み終わった。きょうから、グスタフ・マイリンクの『ゴーレム』を読もうと思っている。むかし、読みかけて、途中でほっぽり出してしまったもの。こんどは、さいごまで読めるだろうか。


二〇一九年十二月十一日 「藤井晴美さん」


 藤井晴美さんから、詩集『イブニングケア』を送っていただいた。相変わらずの旺盛な制作力だ。文体もいつもの藤井晴美さんだ。ちょっと散文詩が、よりやわらかくなって、するりと入るものになっているかなあと思う。書くことが、こんなにたくさんある詩人もめずらしいものだと思う。


二〇一九年十二月十二日 「田中宏輔 文学極道選出作品」


田中宏輔 文学極道選出作品

http://bungoku.jp/monthly/?name=%93c%92%86%8dG%95%e3

詩集に収められている作品と同じものもありますが、手を入れて詩集に入れたもの、逆に、手を入れて文学極道に投稿したものもあります。

お読みいただければ、うれしいです。


二〇一九年十二月十三日 「夏色のナンシー」


 フランスのプログレで、「夏色のナンシー」が聴きたいと、何年も前から、いろいろなところでたずねているけれど、返信はゼロ。兄と妹の2人組だったと思う。ぼくは、シングルレコード買ったのだけれど、30年以上も前の話。だれか、ぼくよりプログレに詳しくって、情報もってるひと、いないかしら?


二〇一九年十二月十四日 「ゴーレム」


『ゴーレム』めっちゃ退屈な物語。読むのが苦痛。夕方、ブックファーストで、アン・レッキーの最新作を数ページ読んだのだが引き込まれた。買おうかどうか迷った。買わなかったけれど、まえの三部作をみんなひとにあげちゃったので、新たに買うのを迷っちゃったって感じ。


二〇一九年十二月十五日 「詩論」


言葉は、わたしをつかって、言葉をつくる。


二〇一九年十二月十六日 「翻訳」


 ひさしぶりに、LGBTIQの詩人の英詩を翻訳した。いまいちの出来である。もとの詩の出来がいまいちなのか、翻訳がいまいちなのか、両方ともいまいちなのか。いまいち感が半端ない。寝る前にもう一度、点検するつもりだけれど、いまいちだ。


二〇一九年十二月十七日 「考察」


 神は愛であり道であり真理であると聖書にあったと思うけれど、愛こそ神であり、道こそ神であり、真理こそ神だと思う。


二〇一九年十二月十八日 「翻訳」


 きょうも、ひとつ、LGBTIQの詩人の英詩を訳した。あと32作品のLGBTIQの詩人の英詩を訳さなければならない。翻訳した詩は、すべて書肆ブンから出版される翻訳本になることになっている。共同翻訳者がいるが、翻訳作業は別々だ。ぼくの翻訳が彼女の翻訳に劣ることがないようにがんばろうと思っている。


二〇一九年十二月十九日 「夢」


 目をひらかされて、目がさめた。手を引っ張られて起き上がった。手に歯ブラシを持たされてチューブをひねらされて、歯を磨かされた。それから着替えさせられて、靴を履かされ、玄関で後ろから蹴られるようにして家を出ていかされた。


二〇一九年十二月二十日 「詩論」


 詩人や作家や芸術家が自分のつくった作品を見て何を考えるのか、ぼくは知らない。ひとそれぞれで、またひとりのひとにとっても、作品ごとに、また同じ作品でも見るときどきによって違うものかもしれない。ぼくの場合は、ぼくの無意識を見る。ぼくの無意識の在り処と、その働きを見る。


二〇一九年十二月二十一日 「詩論」


 ぼくの詩は、振り返ってみたら、どの詩も、誰かと出会ってなければ、何かと出合ってなければ、つくられることがなかったものばかりだ。


二〇一九年十二月二十二日 「Tシャツをガマン」


 Tシャツをガマン、それとも半ズボン。知らず知らずのうちに物干し竿の真似をする。そででは街灯を引きずる音。床は唾でヌチョヌチョだ。ところどころ画像がはっきりと映っている。エゴイスト。口でないと嫌だと言う。死ね。セブンイレブンでおでんを買う。レシートに買っていない大根の金額が。死ね。


二〇一九年十二月二十三日 「死を裏返して生きる。」


 死を裏返して生きる。みんながしていることだ。札の死を裏返して生きている。表を向いている顔を裏返して生きている。表を向いている葉っぱを裏返して生きている。表を向いている言葉を裏返して、みんな生きている。だから生はわかりやすいし単純だ。だれもが、死を裏返して生きている。或いはその逆。


二〇一九年十二月二十四日 「やわらかいドアノブ」


 やわらかいドアノブ。握ると硬くなる。冷たい兎。首をねじって息を吹き込む。とたんに熱を帯び、血液がめぐる。まるでドアノブのように。足裏を頬の上に置いて言ってきかす。まだ指があるのだと。指は緑の太い茎のようにポキポキ折れる。ドアノブもねじりもぎとることができる。と、きみに優しく言う。


二〇一九年十二月二十五日 「水沢なおさん」


 水沢なおさんから、詩集『美しいからだよ』を送っていただいた。詩のなかでしか出会わない言葉というものがある。彼女の言葉がそうだった。個性的な詩人しか記憶に残らないが、彼女の詩は十二分に個性的だった。学ぶべき点が数多くあった。それにしても華麗でレトリカルである。


二〇一九年十二月二十六日 「考察」


 せっかく答えの芽が出て葉を伸ばしても、実ができるまえに、問いかけの獣たちが食べてしまうので、答えの実が結んだことがない。答えは、いたるところに生えているのだけれど、いろいろな問いかけたちが、すぐに見つけて、食い散らかしてしまうのである。それでも、答えはたえず生えてくるのだけれど。


二〇一九年十二月二十七日 「2011年10月2日のメモ」


 友だちが言った、「お母さんを郵便局に預けると利子がつくよ。」と。利子のついたお母さんって、いいなあって思った。あれっ? じゃあ、お母さんを借りると、お母さんが減ってくの? いや、それでも、お母さんは増えてくのかな。どっちだろ。ううううん。どっちにしろ、お母さんは増えてくのかなあ。お母さんが増えるという前提で話をすると、お母さんのなにが増えるんだろう。ミニお母さんがついてくるのかな。それとも、お母さんの指が増えるとか、耳が増えるとか、部分的な増量だろうか。お母さんが20%増えてっていえば、ただ体重の増えたお母さんがいたって感じになるかな。指、増えてほしい。それとも、お母さんが縦に増量する。首だけが二倍になったり、目と鼻の間が二倍になったりとかも、するのかもしれない。あっ、それとも、身体的な増量じゃなくて、お母さんの精神的な増量も考えていいかもしんない。お母さんが、ぼくだけのお母さんじゃなくなるのってのは、どうだろ。たとえば、タコ。タコを産んだお母さんが、ぼくのお母さんでもあるとかね。コンパスが股を開いて、小さなコンパスを産むように、お母さんがタコを産んで、それから、ぼくを産んだことにするといい。お母さんは、なんだって産むんだ。いままでも産んできたし、これからも海つづける。いや、産みつづける。なんちゅうか。それが出来上がったら作品はおしまいだ。お母さんといっしょ。ファックスの紙がなくなっていると、電話が告げているのだけれど、ぼくはファックスに切り替えたこともない。なんでも告げればいいというものではないと思う。もちろん、後ろでもかまわない。前でもかまわない。ファックスでさえなければ。國文學の編集長が、ファックスないのですか、とたずねられたので、ないのですよ、と答えた。「だって、ファックスでは、美人かどうか、わからないじゃないですか。まあ、どこの海岸でもかまわないのですが、できれば海岸沿いのお化けが出る廃屋がいいですね。風がビュンビュン」ビュンビュン、なにが? だから、ファックスが。ビュンビュン、なにが。でね、お化けがいいところは、それが場所を選ぶからなのです。時間も選びますね。シチュエーションも選ぶことが多いのです。写真に写りますか? ビュンビュン写ります。お化けが自分の出る時間や場所を選ぶのですか? いいえ、時間や場所が選ぶのです。時間や場所のほうが、お化けを選ぶのです。そこに生きている人間を適当に配して。そうそう。そこ。ほら。そこと、そこ。あっ、あっちも。いい感じですね。お化けは、もうすこし、こちらに。こちらに来て。ええ、ええ。いい感じです。ほら、ビュンビュン、風が写ります。風が写ります。そこ、と、そこ。後ろにまわって。はい。チョキンと切りますよ。だいじょうぶですよ。こわがらないで。痛いのは一瞬です。目をつぶって。ハイ。どうです? 一瞬だったでしょう? あなたも風とビュンビュン、写りますからね。あ、ちょっと待って。間違えてました。あなたは、ここで突き落とされるはずだったのです。一度してしまったことは訂正できないのです。あなたは、その姿で、出てきてください。髪をすこし濡らして。そう。そういう感じ。いいですよ。違った死に方も悪くはないでしょう。あなたは、自分のどんな死に方を、頭に思い描いていましたか? わたしも、まったく思ってもみなかった死に方でしたよ。 


二〇一九年十二月二十八日 「柴田 望さん」


 柴田 望さんから、詩誌『フラジゃイル』第7号を送っていただいた。たくさんのさまざまな書き手が、個性的な形をもって詩を書いてらっしゃるのだなあと思った。じつにさまざまな形式というか、書き方があるのだなと、いまさらながらに気づかせてもらえる詩誌である。


二〇一九年十二月二十九日 「おだ じろうさん」


 おだ じろうさんから、詩集『束ねられない』を送っていただいた。一度もひっかかることなく、安心して読めた。なんなんだろう。まっとうな生き方をしてこられた方の真摯な作品をまえにして、なんだか恥ずかしい思いをしてしまった。安心して詩を読める幸せなど、めったに味わえない爽やかな気持ちだ。


二〇一九年十二月三十日 「清水鱗造さん」


 清水鱗造さんから、小説『なめくじキーホルダー』を送っていただいた。夜中に手をとって、早朝まで、一気に読まされてしまった。ラテンアメリカ文学にみられるマジックリアリズムの手法で描かれた日本版マジックリアリズムの小説だと思った。読んでる途中、目が離せなかった。相当な腕を持たれた詩人。


二〇一九年十二月三十一日 「レーモン・ルーセル」


 寝起きに目をつむったまま、どんぶりものや、うどんものを思い浮かべたら、一個一個、鮮明に映像が出てきたのに、ええい、めんどくさいと思って、まとめて見てやろうと思ったら、とたんに映像が見えなくなってしまった。これって、なんかすごい発見をしたような気になってしまったのだが、どうだろう。

 グスタフ・マイリンクの『ゴーレム』を読み終わった。さいごの数ページの展開は予想できないもので、びっくりしたけれど、おおむねは、たいくつな読み物だった。きょうからの読書は、レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』だ。読みにくい活字だ。たいくつな読み物だったらいやだな。





自由詩 詩の日めくり 二〇一九年十二月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-03-28 00:01:03
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