亡者の先導、沸点のブラッド
ホロウ・シカエルボク


死霊のように空を彷徨う俺そのものの幻を、置き去られたように見上げている一二時間、彼方に佇んでいる雨雲は、ある日突然自死を選びそうな誰かの微笑みによく似ていた、朝食の後味は奇妙に歪んでいて、つまり、それは食ったものとはまるで違うものみたいで、困惑した俺は何度も口腔を舐め回した、一番長く舌を伸ばしたとき、目の裏でなにかが小さな音を立てたんだ、でもそれがなんなのか結局分からなかった、だからいつかありありと思い出すに違いないと思って、なにに記すこともなく時計の針はグルグルと回った、時にはなにかが、絶対にそうではないもののように存在する瞬間がある、それを人は霊と呼ぶのかもしれない、空間の歪み、意識の歪み、だったら、俺の中にだって俺自身の幽霊が居るだろう、俺の中には小さなころから死が存在していた、きっと、生まれてすぐに何度も死にかけたせいだろう、俺は常に死を見つめていたのさ、おそらくは哺乳瓶を突っ込まれて吸っているころからね、これはいつか終わる、国語算数理科社会が黒板を通り過ぎていく時間、いつだってそんなことを考えていた、あのころ、俺にとって現在とはすでに過去だった、終わるものとして認識されただけの過去だった、仮にそれが小さな、蓋のついたボックスだったとしたら、開けたときにそこに転がっているのは萎んだ俺の心臓だったはずさ、黒板の向こうにいつかは終わるものばかりを見ていた、そしてそれはどんな努力をしても拭い去ることが出来なかった、不器用と頑固さで疑問符を先送りに出来なかった、ひとつの疑問の為に立ち止まることが得意だった、納得がいくまで動こうとはしなかった、そしていつだって死の影がそこにあった、余りにも澱んだ、垂れこめる雨雲のような心だった、視界に留まる限りの屋上を俺は見上げた、マンションの屋上、デパートの屋上、廃ビルの屋上、コンサートホールの屋上、どうしてそんなものばかり見つめてしまうのか分からなかった、もしかしたらそこに、鳥のように羽を休めている時間を見ることが出来ると思ったのかもしれない、時は、そうだ、観念的な苦痛のようなものだった、はしゃいでいるよりは、眉間に皺を寄せてなにかを見ようとばかりしていたような気がする、後頭部の左側で壊れたディスプレイに映る色調とパースの狂った景色を見つめ続けていた十二時間、魂の記憶はその不条理と不合理に集約されている、水晶体の欲望、枯れ砕けながら真理の欠片が、眼球の直径を射抜くその瞬間を、四肢を切断された獣のように焦れながら、十二時間の点滅を見つめ続けている、ゆっくりと考えてみるんだ、点滅を思う時、脳裏に浮かぶものは光の方か、それとも闇の方か?どちらで始まり、どちらで終わるのか?そしてそれは取るに足らないことだろうか…?それは例えば、どちらかを選択しなければならないのではないかという気持ちがただの奇妙な執着であったとしても、それがふたつ以上の現象によって構成されたものであるのなら、選ばれるべきなのではないのかと、人はきっと考えてしまうだろう、だから俺はどちらも選ばないことにした、点滅は点滅のままで、そうするに任せておくのが一番いい、いつからかそう信じて生きるようになった、もとより真実など、どちらかなんていう安直な選択肢でその手に出来るような代物ではないはずさ、雨雲は濁流に飲まれたみたいに歪みながらちぎれ、もう思い出せなくなった昨夜の夢のような断片になってやがて消えた、久しぶりに見る太陽の眩しさは可能な限り速度を落として再生されている核爆発のようだった、連続する爆発の中で懸命に呼吸をしながら人生を繋いでいる、詩人がその日に書き残すものはすべてそいつ自身の魂の痕跡だ、明日には掻き消えると分かっていながら、明日には掻き消えると分かっていながら、それは書き綴られる、そうして魂を更新していかなければ、明日どころか今日の価値すらありはしない、爆発の最中に生まれた、爆発の最中に生まれた、そうして、爆発の最中に生きている、爆炎は視覚と嗅覚を奪い、爆音は聴覚を潰す、現在地点を見失いたくないのならばそこに自分自身を刻みつけるしかない、ほんのひととき、一生は瞬きの内に終わる、ならばこそ、すべての意味を飛び越えるために、境界線の上に言葉の煉瓦を積み上げる、束の間の夢だって言うんだろ?だからって他にどうしろっていうんだ、鮮やかな夢なら目覚めた後だって記憶に噛みついてることだってままあるんだぜ、死霊のように空を彷徨う俺そのものの幻を、置き去られたように見上げている一二時間、幻なんて所詮嘘っぱちさ、この俺自身の真実は、この俺自身の頭蓋骨の中でしか蠢いちゃいないんだ。



自由詩 亡者の先導、沸点のブラッド Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-03-23 15:22:11
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