詩の日めくり 二〇一九年十一月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年十一月一日 「断片」


彼の顔に答えをさがしていたが、いっこうに見つからなかった。


二〇一九年十一月二日 「断片」


彼は自分の考えのなかで方向を失い、迷子になっていた。


二〇一九年十一月三日 「箴言」


他者がいるので、自分を映しださせて見れる。


二〇一九年十一月四日 「詩論」


音には映像をふくらませる力がある。


二〇一九年十一月五日 「断片」


彼のほほ笑みは、ぼくに警戒心を起こさせるものだった。


二〇一九年十一月六日 「考察」


 ファミレスで友だちとしゃべっていると、近くの席で会話していた連中の間で交わされていた言葉が、自分の口からポロっと出てきた。無意識のうちに取り込んでいたのだろうけれど、その言葉はぼくたちの会話のなかに現われても違和感がちっともなかった。無意識が取り込むものがいかに多いか。


二〇一九年十一月七日 「考察」


 さまざまな時間が、ぼくのことを思い出す。さまざまな場所が、ぼくのことを思い出す。さまざまな出来事が、ぼくのことを思い出す。そうやって、思い出されるたびに、ぼくの輪郭が明瞭になっていく。


二〇一九年十一月八日 「考察」


 自分を破滅させるものを愛する人は多い。一部の人間は破滅すること自体を愛することもできるようだ。詩を愛するひとは多い。詩で破滅する人間の多さには驚かされる。ぼくもそのひとりだ。だが破滅するから詩を愛しているのではない。いずれ、すべてのものが破滅するのを知っているのだから。


二〇一九年十一月九日 「根本紫苑さん」


 根本紫苑さんから、詩集『四角いサボテン』を送っていただいた。見知らぬ光景が、つむがれた言葉から浮かび上がる、といった感じがした。どの詩篇も、見たことのない光景を、ぼくの目に浮かべさせてくれた。おいくつくらいの方なのだろう。言葉の使い方が自在で、落ち着いてらっしゃる。


二〇一九年十一月十日 「安川登紀子さん」


 安川登紀子さんから、詩集『自殺』を送っていただいた。おどろおどろしいタイトルとは違って、収録されている作品は読みやすく、共感できるものがほとんどだった。そして、多くの作品が少ない行数で、センテンスも短いものだった。読みやすかった。「疑問」というタイトルの詩など「?/?/?」だけ。


二〇一九年十一月十一日 「箴言」


 人間はすることがなければ、自分を苦しめるものでさえつくりはじめてしまうものである。


二〇一九年十一月十二日 「浅はかさ」


 蔵書を半分くらい処分した。いま本棚には傑作しか残っていないけれど、傑作でない本でも読み返ししたい本があったのだなあと今朝、気が付いた。コンプリートに集めた作家の本をひとに譲ったりもしたけれど、部屋が狭いことが根本原因でしたことだった。もう取り返しはきかないけれど。浅はかだった。


二〇一九年十一月十三日 「詩論」


 互いに見張り合って、言葉の意味をより狭い範囲のものにしばりつけようとする詩人たち。


二〇一九年十一月十四日 「詩論」


 しじゅう、言葉を出入り口として、さまざまなものが、ぼくの身体を出入りする。


二〇一九年十一月十五日 「考察」


 思考対象がなければ自我は働かない。これは、実験済みだ。メモの断片が勝手にくっついていくことによって、自分が考えてもいなかった詩句が出来上がっていったのだ。自我を思考傾向のようなものとして捉えれば、思考対象がないときに自我が働かないのは当然のことのように思われる。


二〇一九年十一月十六日 「イノック・アーデン」


 テニスンの『イノック・アーデン』をブレッズプラスでランチを食べたあと読んだ。2時間弱で読み終わった。つくりものなのだけど、つくりものめいた作品なのだけど、ほとんど善人しか出てこないのだけれど、細部にわたって観察が行きとどいた叙述のため、物語として十分楽しめた。終わりのところで、涙がにじんだ。


二〇一九年十一月十七日 「スイカの缶詰」


 醍醐にいたとき、よく自転車で冒険した。ぼくは中学2年生だった。田舎道を自転車でいろいろなところに行った。ある道端に建っていたなんでも屋さんに、スイカの缶詰があった。と、そんな記憶があったのだが、詩を書くようになって、スイカの缶詰の話を友だちにしたら、そんなのないよと言われてショックやった。

 しかし、もしかしたら、スイカの缶詰あったかもしれへんし、これからネットで検索してみる。

 いまネットで「スイカの缶詰」を検索したら、あったみたい。でも、実物がすぐに出てこなかったけど。なんだか、くわしく知りたくなってきた。


二〇一九年十一月十八日 「考察」


 恋なんていつかは必ず解ける魔法だけれど、齢をとっていろいろ経験すると、人生という魔法にかかって、なにもこころにかけていないひとのしぐさでさえ、いとしく思えることがある。これは、人生の魔法ともいうべきものであって、けっして解かれることはないものだ。


二〇一九年十一月十九日 「2011年4月5日のメモ」


 自分の生が、生の瞬間が生き生きとするのは、真実の一部を虚偽の一部と交換するからではないかと書いたことがあるが、じつは、その大方を虚偽と交換するのではないかというのが、文芸や音楽に忘我となっているときのことを思い出してみて、考えたことだ。


二〇一九年十一月二十日 「2011年4月13日のメモ」


 レックバリの小説には、そこかしこにユーモアがある。ユーモアこそ、知性のある証しだと思ってきた。皮肉には知性がない。皮肉は、愚か者が口にすることのできる唯一の武器だ。あまり威力がないのだが。ユーモアが愚か者によって口にされるのはまだ見たことがない。愚か者が口にする言葉をユーモアに解することはあっても。


二〇一九年十一月二十一日 「日付のないメモ」


 人格も、人柄も、その言葉も、その行動も、その微笑みも、その悲しみをたたえた瞳も、仮初めのもの、ただひとときのものに過ぎないというのに、なにをそんなに気にかけることがあるのだろうか。


二〇一九年十一月二十二日 「日付のないメモ」


 今 陽子の「さよならの嵐」のシングルのB面「別れたあなたへ」を小学生のときに聴いて、どきどきしていた自分がいた。この曲のタイトルが思い出せずに、友だちの友だちにサーチしてもらった。A面のタイトルは憶えていたのだけれど。大事な方ではない方を記憶しているという、変な脳みそ。


二〇一九年十一月二十三日 「2011年4月1日のメモ」


 五条大宮の公園の入口に、コブシの木に白い花が咲いていた。六弁の花。咲きはじめて、二、三日で満開となるらしい。ぼくの目には三分咲き。しかし公園に入って行くと、満開のものもあり、ほとんど裸木のようなものもあり、つぼみをつけた緑葉樹とも混在していた。


二〇一九年十一月二十四日 「2011年4月8日のメモ」


 ひとの作品を評するときの言葉には気をつけること。ときには、いや、かならずだと言ってもいいだろう、それは、自分が自分の詩をどう思っているのかを表わしているのだから。


二〇一九年十一月二十五日 「考察」


 過去は2つある。した過去としなかった過去である。した過去は現在につながっている。では、しなかった過去はどうか。これもまた現在とつながっているのである。


二〇一九年十一月二十六日 「日付のないメモ」


その雨は顔となり、その顔は雨となった。


二〇一九年十一月二十七日 「雑感」


 田中元首相がロッキード事件でアウトだった過去があるのに、なぜいまの首相はアウトではないのか、不思議だ。


二〇一九年十一月二十八日 「2011年4月16日のメモ」


 お墓参り。お墓の場所 18区91 御影石の黒い石の墓。この区域に御影石のお墓は、うちと、もう一軒だけ。見晴らしの良い高いところだが、足腰が弱ったときには、登るのがつらいかもしれない。他の多くの墓を見下ろす場所に立って気持ちがよいのもなんだか。


二〇一九年十一月二十九日 「ひんまがっちゃったひとはいないだろうけれどね」


 どぶさらいしたときの臭いってものすごいね。鼻がひんまがっちゃうね。って言って、ひんまがっちゃったひとはいないだろうけれどね。


二〇一九年十一月三十日 「2011年4月13日のメモ」


 八雲さんに小物屋さんに連れて行ってもらう予定なのだが、いまべつに欲しい小物などひとつもないのだが、じっさい目にしたら、ああ、これ必要だな、などと思えるようなものに出合えるような気がする。と、ふと、思った。


二〇一九年十一月三十一日 「日付のないメモ」


 自転車に乗っていてトラックにはねられそうになったとき、時間がとまったような気がしたことがある。トラックの運転手たちだけではなく、横断歩道の向こう側にいたひとたちの顔、ひとつひとつまでもが鮮明に目に飛び込んできたのだ。



自由詩 詩の日めくり 二〇一九年十一月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-03-21 00:01:16
notebook Home 戻る