通訳士のキムさんのこと
板谷みきょう

1990年
三歳のコンスタンチン君が
サハリンから北海道に来て
火傷の治療をしたことが
大々的なニュースになっていた当時

実は同じ頃に
精神病院に思春期の女性が
サハリンから
治療を受けに来ていた

プライバシーの関係で
報道機関にも知らされず
密やかに治療を受けに
来ていたのだ

特別待遇で開放治療を
受けていたから
末端の看護師には
病名も治療計画も
知らされなかった

理事長から
「この入院については
誰にも漏らしてはならない。」
そう言われたのだ

名前も知らされない
ロシア女性が
院内を闊歩する姿を
見ていたが

気になったのは
食堂で一緒になる通訳者の
朝鮮人だった

彼は日本語を流暢に話し
かの大戦で樺太に徴用され
終戦後も帰還しなかった
と話してくれた

こうでもしないと
生きて行けないね

通訳で北海道の地を踏んだが
これが終わればロシアに帰ると
話していた

食事の時にしか
会う事が無かったが

ボクは
日本人として
とても恥ずかしく
彼に対して
申し訳ない気持ちで
一杯になった

複雑な事情が
絡まり有ってるから
イタヤさんが
責任を感じることないね

三か月ほど病院の敷地内を
歩いている姿を見ていた
そして音沙汰もなく
消えていった


自由詩 通訳士のキムさんのこと Copyright 板谷みきょう 2022-01-01 04:16:28
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