告別
石村
我が友、田中修子に
時折西風が吹く
そして天使が笑ふ
するとさざ波が寄せ返し
沖を白い帆が行き過ぎる
砂に埋れた昨日の手紙を
まだ浅い春の陽ざしが淡く照らす
生まれたばかりの小さな蝶が
その上でしづかに羽をやすめてゐる
それで時には幸せだつたのかと
僕はお前に問ふてみたのだが
もうどこにもお前はゐないのだから
こんな風に暖かくやはらかい光に
何もかもがやさしく包まれてゐる午後にも
失はれたものは失はれたままだ
ひえびえとしたさびしさばつかりだ
さうだ去年の今ごろは
硝子の笛を吹いてお前とこの海辺を歩いた
今日とかはらぬおだやかな陽を浴びて
時折の西風がお前の傘を飛ばした
すると天使が笑つた
お前も笑つた
僕は今日とかはらぬ道を歩いてゐたのに
けれどお前がもうどこにもゐないといふことは
どんなに僕が呼び掛けたとしても
答へが永遠にかへつてこないといふことだ
お前がきかせてくれた名も知らぬ歌が
めぐる季節の内に忘られてしまふといふことだ
それでも僕が生きてゐるといふことだ
お前以外のすべてがここにあるといふことだ
それがどんなにつらくさびしいことかを
お前に知らせるすべがないといふことだ……
時折西風が吹く
そして天使が笑ふ
もう昨日までの時計は止めて
歩いて行かう
お前がゐた日々の憧れだけで
するとさざ波が寄せ返し
沖を白い帆が行き過ぎる