水と死体
竜門勇気


膝を抱えた女を殺した
首を絞めようとしたら手を振り払われたから

出会ったのは駅前の公衆便所の前で
「私を殺してくれるんですか?」と聞かれて
俺は「お前を殺すのは俺じゃない」と答えて
少し見つめ合った

灰色は好き?
いや
黒色は?
いや
白いものは好き?
いや
何色が好き?
好きなことは、ないよ
気の済むまで喋ってればいい
世界を最初から最後まで説明してもいい
気の済むまで例を挙げてればいい

あの曲がり角を越えれば
家があるから
俺はその中に入ってクソほど酒のんで寝る
だからそれまでに
あんたの本当に嫌いなものを言え
そんで満足して去ってってくれ

女は家の中に入ってきた
見れば見るほどどこかで会ったやつのような気がする
それが思い出せないのはなんでだ?
思い出せないことってどうやって生まれるんだろう

クソほど酒を飲む
昔、子供の頃
あんな飲み方してると死にますよって
知り合いが親に言ってた
三十年近く経つけどまだ死なないみたいだ
明日で終わりです、って言われたとしても
「そんなもんすね」ってな気分だ

女は部屋に入ってから「くさい」とか
「ゴミ箱みたい」とか
ごちゃごちゃ喋っていた
勘弁してくれ、どっかに行ってくれ
やがて身を縮めて部屋の隅で寝息を立て始めて
寝言をはじめた

やれ”私には検証可能な成功体験はない”
やれ”私には不実であることが決定づけられた神の籤を引く定めがある”
やれ”私には無実の帰還兵に浴びせるための銃弾が託されている”
やれ”私には、もう、愛しかなかったのに”

寝言は甘く味付けられた後悔だ
魑魅魍魎に齧り尽くされた人の残骸だ

やれ”米に名前を書いていました”
やれ”忘れないように、朝と、夜には食べました”
やれ”味噌はいつも多く入れて顔色を見て椀を下げるのです”
やれ”辛かったですか?そう言って下げるのです”

俺はこの人を今日殺そうと思った
もうこれ以上悲劇を生産するのはやめさせる
首に手をかけた
自分にたくさんの言葉をかけてやった

手は振り払われ
”呼んで”と言った
”これでいいのか、聞いて”と言った
だから絞め殺した
もうあんな言葉はききたくない

灰色は好き?
黒色は好き?
白いものは?
ごぼごぼ泡を吹きながら
”聞いて、聞いて、”と言っていたよ


自由詩 水と死体 Copyright 竜門勇気 2021-11-02 13:25:20
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