三途川
田中修子
【性的・暴力的な表現があります。ご理解の上、ご閲覧をお願いいたします】
わたしは、生を受けたということがおかしいのです。
母の名前は蝶、きらきら光る目をした人でした。
わたしはあかんぼうの頃から、自分の目で世界を見るよりも、母の目を一度覗き込んでから、外を見るのが好きでした。母の目のなかは無限のきらめきに満ちていて、まるで世界が変わったかのようになります。
わたしが見ている、そこらの土くれの道、平屋の少し古ぼけたような柱や屋根、くすんでいる障子の色が、とたんにはじめて歩く町の風景になるような気がするのです。そうして、晴れた空の輝くような青、井戸から汲んだ水、手入れが行き届かずに生えているぼうぼうとした草でさえ、どこもかしこも、自然に、きらきらと息づいて輝くのです。
「あかんぼうなのにまるで大人のような目をしている」
わたしが母の腕の中にあるころから、わたしはおとなの言葉が分かっておりました。
多くの大人に、間違えて悪くした味噌汁のような声でいわれます。わたしはとたんにあどけなく笑うふりもしました、けれどもそういった一連の演技すら分かる人には分かったのでしょう、預かってだっこしてくれるような人はおりませんでした。
そんなわたしを母はただ、儚く笑って優しくわたしを抱きしめ、お乳をくれたのでございます。
わたしは母に恨まれても当然の出生です。犯されて生まれた赤ん坊、それがわたしなのですから。
裏店住まいの娘にしては賢く、美しい人でもあり、町の男衆にもてはやされたのではないでしょうか。そうしておごり高ぶることもなく、ただ、梅の花のように凛として生きてきたのでしょう。
そして蝶は十六の時、おおらかで誰からも好かれる、いずれは大工の棟梁になるであろう人に嫁ぎました。つましいながらもよろこばしい祝言を挙げ、すぐに男の子も生まれました。心根の優しい娘がたどる、しあわせの道ともいえましょう。
その男の子が、もう手も離れようという十二になったとき、蝶は男に犯されました。
かけつけた父は、乳房の片方を鎌で切り取られ、局部から血と精液をしたたらせて気絶している母を見て、ぼうとしながらなにかしらを叫んでいました。それを聞いてまわりのものが蟻のようにわらわらと集まってきて町医が呼ばれました。
わたしはその様子を腹の中からじっと伺っておりました。
母は最初に後頭部を殴られ意識を失いましたから、下手人はいまだに上がっておりません、なぜ母にそんなことをしようと思ったのか? 誰にも分からない、いえ、わたしは少し分かるような気がするのですが。何しろ、わたしの中の半分の血は、その残酷で猟奇な男のものなのですから。
わたしを孕んだのをまわりが知ったとき、まわりのものはおろせと当然言いました。
母は、失った乳房の痛みに耐えながら、どうしても、どうしてもこの子を産むと聞きませんでした。もし子を産まなんだら、私にされたことは本当に無駄なことになってしまう。そうしてまた子は天からの授かりものであるし、今まで長男のほかどうしてかできなかった子があったのはなにかの知らせだ。
このお腹の子を愛せれば、しっかり育て上げれば、また違うふうにあの時のことを思い出される時が来るだろう。そうさせてくれなければ私は今すぐ舌を噛み切ります、いま止めても、いつか私は絶対に自害します。
そう、母が叫んでいるのを、わたしはうとうとと子宮の中で聞いておりました。
腹の中にいるころからも、外に産まれ落ちてからも、そんな風に思ってくれるのは、優しくしてくれるのは、母だけでした。あたりまえのことです。
そんな母にあかるい先を告げたものがいました。母が、あれはわたしと心中しようとしていたのかもしれません。
「あなたは私のほかにだれにも可愛がってもらえないね、赤子なのにもう人の目のなかをよまなければいけないのだね、ごめんねぇ、ごめんねぇ」
静かに母はそんな言葉を繰り返しておりました。
おぶられて、いつまでもいつまでも歩いていて、ずいぶん遠くの海にきたと思ったとき、魚のような顔をして襤褸をまとった醜い老婆と浜でとおりすがります。すれちがうとき老婆がつぶやいたのです。
「あんた早まるんじゃないよ、その赤子は、何か人と違う、めずらしい運命をたどる存在になるだろう、あたしは人魚の肉をくろうて死ねずにさまよっているが、そんな目をした赤子をみるのははじめてだよ」
母がぼろぼろと泣いたのを覚えています。
乳房から滴り落ちる豊かな乳のようにあとからあとから耐えず滴り落ちる澄んだ涙。
わたしはめずらしい運命をたどる存在になろう。
わたしは両方の祖父母と父、そして兄に折檻されていました。あかんぼうの頃から、母のいない場所で言われ、時につねられ、もう少し体が大きくなると、打ちのめされ。
「顔も見せないで疾風のように母の片方の乳を刈り取っていった狂人のかおが、お前には現れている」
「ほんとうは産ませたくなどなかった。子堕しの婆に引きずり出してもらってよかった」
「母さんさえ許してくれるなら、俺はお前を殺すのに」
そういったことに気付くと、母はわたしをかばいました。 --かばってくれた、わたしはそれが嬉しかった。
だからわたしはもっともっと、祖父母に父に兄に、殴られるように、わたしを演じていきました。そうして母に抱きしめられ、熱い涙をひらひらと落されるのが、わたしにはほんとうに至福の時間であったのです。
そのうちに時間がたち、父は醜いわたしの容姿に母を犯した男を重ねたのでしょう、酒に溺れて行きました。
そうしてわたしが五の秋、十七の兄はわたしを犯しました。
外で遊んでいると兄が来て、竹やぶへわたしをさそいました。
兄は私の目の前で自分のものをいじって、目が宙を浮いて、白いものがポタポタとたれました。そんな日が多く続きましたが、やがて、
「おまえの父が母さんにしたことだ」
といってわたしの中にねじりこんできました。それをわたしはぼんやりと、体から浮かび上がって見ておりました。
ますます得意になって、兄は、夜、私の布団へ忍んできました。広いとは言えない部屋、奇妙な気配。神経が昂ぶって良く眠れない体質になっていた母に見つかったのは、何回目かの、ことでした。
母は、狂いました。
きらきらした人はもういません。貧しい生活の中で、目の中に輝いた世界を持っていたひとはどこかに行ってしまいました。笑ったり泣いたり、ふらふら歩いている。誰かが何を話しかけても、言葉は返ってくることもあったけれど、それは言葉ではなかった。目の前にいるのに、遠い、とても不思議です。
きっとあの、燦然と輝く世界の中に、母はわたしをおいて、行ってしまったのかもしれませんね。
おめえがいるからおかしくなったんだ、と父に、祖父に犯されました。
家の中はもうめちゃくちゃでした。
祖母が人買いに話をつけて、わたしを売りました。お金になり、母の薬に食べ物になればいいと思いました、母はもう、人が振り返るほど痩せこけていて、目ばかりがギラギラと化け物のように大きく、光っているのでした。
売られていったのは、わたしが七つの時でした。
「母ちゃん、さよなら」
わたしはそれだけを告げました。そうすると、気違いの目の光が一度引っ込んだのです、そして不思議なものを見るような目で、そしてハッとしたような目で、わたしにとりすがりました、手の甲に長く汚く伸びた爪が食い込んみます。
わたしは、ふりはらわせていただきました。
いまでも母の顔を思い出します。どうぞ幸せであってくれれば良いと思います。
わたしは十でお客をとりました。早いほうであったと思います。でも、そのことはあまり苦にはなりませんでした。
朝から晩までお客様の相手をしました。幼女好みのお客様がたで、なさることすべてが痛かった。わたしは沢山悲鳴を上げました。そして沢山泣きました。最後に沢山笑って、果てました。
わたしは高く売れました。十にも拘わらず、金銀簪を差し、紅を差し、珊瑚をあしらった着物を着ておりました。
終わってしばらくすると、お客様は頭をなでてくださるのが、嬉しかったのをよく覚えております。
十二になると拷問を習いました。鞭を受け、天井から吊り下げられました。
やがてお店に兄が訪ねてまいりました。そしてわたしを一晩買いました。どうやってあのお金が出てきたのか不思議です。博打でしょうか、きっとろくなことはしておりますまい。いえ、それもわたしのまいた種なのです、わたしさえ生まれなければ、兄もきっと普通の道を歩んでいたことでしょうから。
わたしのお勤めしている店は遊郭の盛りからは離れておりましたけれども、値は張っておりました。どこそこの旦那様が、ひとづてに伝えてしか入れないような店で、その前で金をばらまいて、妹を買わせろと、泣き叫んでおりました。
どうするかと尋ねてくる楼主に、
「確かに兄です、お金さえ取れるのならば、お相手させていただきます、よく取り計らってくださいましな」
「お前らしいがな、しかし」
「可哀想な人ですから」
楼主は、奇妙な目でわたしを見ました、それは昔赤ん坊だった頃によく受けたけがらわしいものをみる目ではありませんでした。少し、哀しみの混じっているような、良く見ると底に不可思議な緑の澱りがある目でありました。
兄は昔したように自分のものをいじりました。そしてわたしの顔に白いものをかけました。わたしはそれをなめました。
兄は、奇妙なところで白痴でした。油の浮いて日焼けして、太って口はいつも空いておりました。
わたしが中に入れますかとたずねましたら、急におびえた顔をしました。
なぜ、泣かないのだ、と申しました。
それはもうわたしはいろいろなことを習いましたから、と申しますと、兄はしくしくと泣きはじめました。
泣きながら、右手はずっと自分のそこをなぶっていました。
ゆっくりと大きくなってゆきました。
わたしはそれを口で愛撫しました。男がいっても、ぴくぴくとそこは動くだけで、なにも出てきませんでした。
わたしはいま十六です。
髪の色がなぜか真っ白です。一昨年の冬、樽の中に入れられて、水責めにあった夜からそうなりました。
わたしは自分の腕を切り刻んだ事があります。赤いものが出てきて、月のものが違うところから出てきたようだと思いました。
それからいらっしゃいますお客様は、みな優しい方ばかりでした。傷がふえると嘗めてくれました。何もしないで帰って行かれるお客も増えました。
楼主は、わたしを花の蜜のようだともうします。ただ、毒が混じっていると、にがわらいしながらポツリと漏らしたこともあります。
蝶がわたしを育てたのだもの、花の蜜なのは当然だとも言えましょう。
蝶の片羽根を千切った男の血が流れているのですもの、毒が混ざっているのも当然だと言えましょう。
わたしの傷を愛する人は、みな、同じようなやさしいひとばかりです。
わたしは、それで、わたしの傷をあいします。
傷を作った日にだけよんでくれとおっしゃるお客様が多いので、そんな日は店に使いをやらせます。朝から晩までお相手を務めさせていただきます。
お寺のお方もよくいらっしゃいます。わたしはそのかたのものを受け入れてから、終わった後、一緒に仏様にお祈りします。
わたしはそのとき、光の中に仏様をよく見ます。それはそれは、お慈悲に富まれた顔をしていらっしゃいます。
さて、いつの頃でしょうか--
兄を、わたしはころしました。その記憶だけははっきりしています。兄は、常連とまでは言えないまでも、時にやって来てはわたしを買ったのです。わたしを折檻するのにはお金が張りますから兄にはそれはできないのですが、巧妙に、見張りの目を縫って--そうでした、わたしの片方の乳房を切り落とそうとしたのでした。ずいぶん昔に血にまみれて錆になっているような色で、グズグズになっておりました。
「母さんの乳房とおまえの乳房は同じ形をしているなァ」
そうか、これが、わたしの父か。
その時私は、お客様に頂いた、西洋の貴婦人がもつという、手のひらに収まる小刀を持っていました。
兄の首を切って、さあっと襖に血が飛びました。飛んで飛んで少し驚くほどの血だまりになり、兄はその中に沈んでいます。
あら、これでわたしも、磔かしら。それとも楼主が、うまくやってくれるのかしら。そんなことをぼんやりと思っておりました。
しばらくしてすうっとふすまを開けてやってきたのは、絵草紙でしか見たことのない、鬼でした。すこし楼主に顔が似ているようにも思います。兄を頭からばりばりと食っていきます。
わたしはただお祈りしているだけでした。
あとには血も死骸もさっぱり片付いた部屋があります。
「いままでどおりでよい」
楼主に似た澱の混ざった声で、鬼はわたしに告げました。わたしはぺこりと、お辞儀をしました。
でも、そのとき、わたしは兄と一緒に死んだのかもしれないと思います。ときたま腹の下の方が切れない刃物で擦ったようにちりちりいたしますし、以前のお客様がたは、ぱったりいらっしゃらなくなりました。
お寺の方はいらっしゃいますが、どこか遠くを指さして、何かをおっしゃるばかりです。
成仏せよとおっしゃっているのかもしれません。でも、わたしは生まれた方がおかしいわたしなのです。
わたしのつとめるお店は、川の流れの中にあります。
三途の川は、風光明媚なところです。
ときおり、母をおもいだします。
不思議なことに、わたしの居る部屋の襖に、いつのまにか蝶の舞う絵が描かれました。青い羽根のキラキラした鱗粉が、賽ノ河原にふわりと流れると、そこだけ光に満ち満ちて、石を積んでいる子どもも、見張っている鬼たちも、キャアキャアと歓声を上げ、手を結んで踊りだします。
今ではお客も滅多にありません。わたしは思い出しうる限り、指先を噛んで、母の姿を蝶の上に時たま重ねていきました。
何年、何百年経ったか分かりませんでしたが、ある日わたしは、母の姿を完全に描いた、と思いました。そうしたら襖の中から、蝶の羽をふわりと背にかかげた母がおりて来たのです。
母はあのころのままの天女のように降りてきて、わたしの首に、あの優しい微笑みで、手をかけてくれるのでした。