二〇一七年十二月一日 「みかんの皮」
こんな時間にどうしたの
そう訊くと彼は
考え事をしていて出てきたんです
こんな時間まで起きて何を考えてたの
ってさらに訊くと彼は
数学です
へえ
きみって学生なの
ええ
京大?
はい
ふうん
発展場として有名な葵橋の下で
冬だったのかな
正確な季節はわかんないけど
朝の5時ころに
河川敷に腰を下ろして川の水を眺めている青年がいた
ふつうの体型だったけれど
素朴な感じの男の子で
ぼくはその日は夜の12時頃から
てきとうにメイクラブできそうな相手をさがして
ぶらぶらしてたんだけど
タイプがいなかった
少し明るくなってきた
朝の5時ころに
ぽつんとひざを折って坐ってる青年の姿を見つけて
近づいていったんだけれど
彼はべつに警戒するわけでもなく
またゲイでもなかったみたいで
ほんとに数学の問題を考えてて
部屋を出てきたみたいだった
ぼくは彼の指先を見て
きみ
みかん食べてたやろ
というと
なんでわかるんですか
って返事
ぼくは
その男の子の手の先を指差して
黄色くなってるからね
っていった
そういえば
ゲイスナックで
むかし
隣に坐ってたひとに
あなたの仕事って印刷関係でしょう?
っていって
びっくりさせたことがある
あたってたのだ
指の先に
黒いインクがちょこっとついてたから
ぼくの指先にもいろんなものがついてた
灰色の合計
猛烈煙ダッシュ
ストロボ・ボックスに
ハトロン紙のような
ミルク・キャラメルの包み紙
別れ際の言葉を忘れてしまった
さよならだったのかな
二〇一七年十二月二日 「トマス・ケイン博士」
きのう、というか、今朝、夢を見た。メモしたのだけれど、メルヘンじみたものだった。SFの要素もある。きょうは、もうヨッパなので、あしたにでも書く。日知庵で考えていたのだが、矛盾がボロボロ出てくるような夢だった。まあ、夢って。そういうものなのだろうけれど。
あるジェル状の物質をくっつけると、それが硬まるにつれて結合しようという働きが生じることをトマス・ケイン博士が発見した。どんなに離れていても結合しようとするのだ。製品化した商品を、ある少年が両親の寝巻のまえにくっつけた。前日に両親が別れ話をしているのをこぼれ聞いてしまったのだった。
二〇一七年十二月三日 「一角獣・多角獣」
きょうから、寝るまえの読書は、シオドア・スタージョン異色作家短篇集の第3巻、『一角獣・多角獣』。ぼくの大好きな作家だけれど、これ、おもしろかったかどうかは、記憶にない。どだろ。読みながら寝るけど。おやすみ。
夢を見た。若いぼくが自衛隊のようなところで試験を受けてた。原爆を使ってもいいかという書き込み欄に、よいと答えた。ぼくに話しかけてくる青年たちは、みな日本語を話していた。冗談のつもりで、ぼくの用紙を奪うヤツがいて喧嘩になったが、現実とは違って、夢のなかのぼくは引き下がらなかった。
二〇一七年十二月四日 「うつの薬の処方はなしに」
パパの頭に火をつけて
ひと吸い
きょうのパパは
あまりおいしくなかった
ぼくの健康状態が悪いのかもしれない
パパの頭を灰皿に圧しつける
パパの頭だけがぽろりとはずれる
思い出したことがあるので
本棚からママを取り出して
開いて見た
ママのにおいがする
顔を近づけた
やっぱりママのにおいが好きだ
ママを本棚に戻すと
灰皿のなかからパパを取り上げて
もう一度
パパに火をつける
どうしてまずいと思ったんだろう
パパの首の先から
ホー
ホケキョ
きょうは神経科の病院に
うつの薬の処方はなしに
先生がぼくの言うとおりのぼくだと思っているということが
ぼくには怖い
そんなにはやく
うつって治るのかどうか
大丈夫でしょうということだけど
ほんまかいな
と思った
二〇一七年十二月五日 「ミクシィ・ニュースで知った。」
ミクシィ・ニュースで知った。
なぜ子どもも苦しまなければならないのですか
という7歳の女の子の質問に、
法王が、「わたしも、なぜだかは知りません。
でも、その苦痛は無意味なものではありません。」と答えたらしい。
7歳の女の子にわかるかどうかわからないけれど。
なんだか、涙がにじんでしまった。
これから五条大宮の公園に行って、
ロレンスの全詩集のつづきを読んでくるね。
休日の公園の風景に、
初老の詩人が詩を読む風景をつけ加えてあげよう。
こうやって毎週のように、ぼくが風景になってあげると、
公園も喜んでくれるかなあ。
家族連れの賑やかな声とか
犬の散歩にきてる人の優しさに混じって。
二〇一七年十二月六日 「ポール・マッカートニー」
ポール・マッカートニーが好き過ぎて、聴き過ぎて、CDをほとんどぜんぶブックオフに売っぱらっちゃったことがあって、買い直しをしてるんだけど、CDとしていまいちなのが高過ぎて買うのがためらわれるものがある。ブロードウェイのことなんだけどね。なんで、高いのか、よくわからん。というか、ポール・マッカートニーのCDは、ビートルズくらいにすごいんだから、つねに新譜で売れよって気がする。どだろ。本でたとえるなら、シェイクスピアやゲーテくらいにすごいと思うんだけど。あ、時代を考えたら、エズラ・パウンドやジェイムズ・メリルくらいにすごいんだからって思っているけど、どだろ。
「愛するとは受け取ることの極致である。」
(シオドア・スタージョン『一角獣の泉』小笠原豊樹訳)
「ウサギたちはまだ隠れていた。」
(シオドア・スタージョン『一角獣の泉』小笠原豊樹訳)
「夢はもう終わりかい?」
(シオドア・スタージョン『熊人形』小笠原豊樹訳)
二〇一七年十二月七日 「アインシュタインの言葉」
The man who regards his own life and that of his fellow creatures as meaningless is not merely unfortunate but almost disqualified for life.
自分や他人の命を意味が無いと考える人間は、不幸であるだけでなく、ほぼ生きる資格がない。 (ツイートで拾った言葉)
二〇一七年十二月八日 「奇妙な食べ物。」
珈琲キュウリ
麦トマト
時雨れ豆
窓ぜんざい
睡眠納豆
足蹴り餃子
夢遊病アイス
百年スイカ
ブリキ味噌汁
象コロッケ
絵本うどん
カニ牛乳
鸚鵡ソバ
加齢ライス
文句鍋
砂足汁
嘔吐ミルク
福利ゼンマイ
怪談料理
囀りモヤシ
ゴム飴
鋏茶漬け
針豆腐
朗読ソース
路地胡椒
ラブマヨネーズ
地雷ヤキソバ
二〇一七年十二月九日 「ブリかま」
いま日知庵から帰った。ブリのお造りと、かまあげというんだっけ、ブリの背中から首から上の方を炭火で焼いてくれたものがおいしかった。また、30年ぶりかで、バカルディを飲んだ。めっちゃ、あまくて、おいしかった。わかいときにのんだなあって思い出していた。おいしかったあ。かまあげちゃうわ。ブリかまやわ。あれ、またまた違っちゃったっけ? うううん。料理の名前はむずかしい。
きょうも、スタージョンの短篇集を読んで寝よう。きのう読んだ「熊人形」すごくよい。むかし読んだときもよいと思ったけど。残酷な感じとナイーブな感じがちょうどよい感じでブレンドされてて、まったく記憶にはなかったけれど、読んだら数ページで全内容をすぐさま思い出した。スタージョンの傑作だ。
いま、ユーミンを聴いている。「守ってあげたい。」フトシくんとのカラオケの思い出だ。すべては去りゆく。思い出だけが残る。いや、思い出だけが、ぼくたちのことを思い出すのだ。思い出に思い出されないものは、どこにあるのだろう。それもまたぼくたちといっしょにあるのだろうけど思い出されない。でも、まあ、ふと思い出されることもあるので、どんなくっつきかたをしてるのかはわからないけれど、この身にはなれずくっついているのだろう。忘れていたが思い出されたときに、そんなことを考えたことがあった。名前は忘れた。石垣島出身の青年のことだ。
二〇一七年十二月十日 「カラオケ」
日知庵、それからFくんとカラオケに行って、いま帰った。おいしいお酒と肴のあとに、なつかしい、すばらしい曲の数々。お酒とビートルズはやっぱり人生の基本だと思った。きょうも、スタージョンの短篇を読みながら眠ろう。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年十二月十一日 「ちょこんとしたものを書いてみた。」
きれいに顎が冷えている。
コンニャク・ツリー。
指を申し上げてみました。
二〇一七年十二月十二日 「義務と権利。」
ひとの頭をおかしくする義務を果たしたら、自分の頭がおかしくなる権利を持てる。みんな義務も果たしてるし、 権利もぜんぜん無視されていないと思う 。
ひとの読んでる本のページをめくる義務を果たしたら、自分の読んでいる本のページをめくる権利を持てる。みんな義務も果たしてるし、 権利もぜんぜん無視されていないと思う 。
ひとが嫌がることをする義務を果たしたら、自分が嫌がることをする権利を持てる。みんな義務も果たしてるし、 権利もぜんぜん無視されていないと思う 。
ひとを幸せにする義務を果たしたら、 自分が幸せになる権利を持てる。 みんな義務も果たしてるし、 権利もぜんぜん無視されていないと思う 。
ひとを悲しくする義務を果たしたら、自分が悲しくなる権利を持てる。みんな義務も果たしてるし、 権利もぜんぜん無視されていないと思う 。
二〇一七年十二月十三日 「2011年3月27日のメモ」
股間に蝙蝠が棲んでいることを、どうして知っているの?
詩のなかに、流れる川の水について書く前に
流れる川の水が詩のなかで囀り流れていたのだった。
まるで道路自体が殺到するかのように
人々は一つの生き物のようにすばやく足を運んでいるのであった。
壁から~する人々がにじみ出てきた。
いや、わたしのほうが違う部屋に移動したのであった。
二〇一七年十二月十四日 「いまふと思いついて、メモするのが面倒なので、直接書き込む。」
ぼくが書きつけた言葉について、言葉自体が
ぼくが知っていると思っている以上のことを知っている可能性について
思いを馳せること。
それが明らかになるときに、言葉はぼくのこころの目を開かせたことになる。
あるいは、こう言い直すことができる。それが明らかになったとき、ぼくは
新しいこころの目をもつことができるのだ、と。
新しい耳をもつことと同様に、新しい目をもつことはとても難しいし、
とても貴重な体験だ。その体験を得るために、できるかぎりのことを
しなければならない。「ねばならない」というのは、ぼくがいちばん
嫌いな言葉だけれど。
そして新しい声をもつこと。
詩人の役目って、そのどれもだな、きっと。
新しい耳をもち、新しい目をもち、あたらしい声をもつこと。
言葉自体が聞かせてくれる新しい声、
言葉自体が見せてくれる新しい顔、
言葉自体が語ってくれる新しい言葉のように。
二〇一七年十二月十五日 「途中で読むのをやめた本に挟まっていた日付のあるメモ2つ」
ナボコフの『青白い炎』の詩のパートのページにはさまっていた。
気がつかなかったメモ2枚から
2011年2月17日
精神がつくったものは、精神が簡単に壊せるとワイルドは語っていたが
精神がつくったものは、けっして壊せないものなのだ。なかったものと
することなどできないのだ。たとえ、忘却という無意識レベルの相のもの
に移行したとしても、そのつくられたものの影響は必ず残っており、なに
かがきっかけとなってふたたび精神の目の前に姿をあらすことがあるのだ。
隠れているのではない。精神の目が見ていないだけなのだ。精神の目が
自ら目隠しをしているのだ。無意識に。
ただ、興味深いことに、精神がつくったものは、けっして同じ姿を
見せることはないのである。つねに変化しているのだ。つねにほかの
意味概念との間に与え合い受け取り合うものがあって変化しているのだ。
すべてのものが自ら変化し他のものを変化させるものなのだから。すべて
のものが他のものを変化させ自ら変化するものなのだから。
2011年2月17日
たくさんの経験から少ししか学べないときもあるし、少しの経験から
たくさん学ぶときもある。しかし、学ぶ機会を少しでも多く持つために
は、やはり、たくさん読んで、たくさんこころに残すために書きうつし、
文字の形をペンでなぞり、手と目という肉体を通して、ぼくのこころに
刷り込まなければならない。学ぶ才能が乏しいぼくかもしれないから、
繰り返し書きうつすことが必要だ。引用のみによる作品をつくっている
ときには、はげしく書きうつしている。
たくさんの経験から少ししか学べないひとがいる。少しの経験から
たくさんのことを学ぶひとがいる。前者のタイプに、ぼくがいる。
本からも、会話からも、考えることからも、ぼくは学ぶ能力が乏しい。
これは、ぼくが、ぼくよりはるかに学ぶ能力のある友人を持っている
から言うのだ。後者のタイプに、ジミーちゃんがいる。ぼくより読んだ
本の数は少なく、ぼくより友だちが少なく、ぼくよりひとと会ってしゃ
べる機会が少ないのに、ぼくよりずっとたくさんのことを知っている
し、ぼくよりはるかに深く考えているのだ。
ぼくはもっともっと学ぶ能力がほしい。
二〇一七年十二月十六日 「日付のあるメモいくつか」
2010年9月23日
その本はまだ自らさまざまな打ち明け話をしようと思っていた。
2010年3月28日
その文章のなかには多くの言葉が溺れていたり首を吊ったり電車のホームから飛び降りたりしていた。
2010年9月23日
夢が夢を夢見ながら
二〇一七年十二月十七日 「日付のないメモ」
違いが勝手に脳に生じさせていたのであろう。これではおかしいか。脳が違いを生じさせていたのではないのだろうと推測されたのでそうつづったのだが、ドラッグのせいで、かすかなふつうなら気づかないなにかがおかしかったのだ違いが脳に生じさせていたのだったなにかがおかしかったのだふつうなら気づかないかすかなドラッグのせいで違いが脳を生じさせていたのだった。ドクターを見つけたとき
二〇一七年十二月十八日 「ケネス・レクスロス」
ジュンク堂で、ケネス・レクスロスの翻訳詩集を買った。そのあと病院の待合室で読んでたんだけど、まだ20ページしか読んでいないけれど、訳がすごくいい。原文がいいからなんだろうけれど、いまんところ、W・C・ウィリアムズにささげた詩がいちばん好きだ。
二〇一七年十二月十九日 「日付のないメモ」
街が降る。
雨のなかに降る。
屋根や階段や
バルコニーや廊下が
音を立てて
雨のなかに降る。
二〇一七年十二月二十日 「あなたがここにいて欲しい」
いま日知庵から帰ってきた。帰り道、頭のなかで、ピンク・フロイドの『あなたがここにいて欲しい』がずっと鳴ってた。そいえば、ぼくの詩は、ずっとイエスの『危機』や『リレイヤー』や、ピンク・フロイドの『原子心母』や『狂気』といったアルバムを参考にしてつくってたから、自然なことだったのだなあと思った。
二〇一七年十二月二十一日 「キモノ・マイ・ハウス」
いま日知庵から帰った。帰り道は、頭のなかで、スパークスの『キモノ・マイ・ハウス』のさいしょの2曲が鳴っていた。
二〇一七年十二月二十二日 「月下の一群」
きょうの晩ご飯は、大谷良太くんちで、チゲ鍋をごちそうになった。とてもおいしかった。ありがとね、良ちゃん。で、日知庵に寄って、帰ってきたら、郵便受けに、笹原玉子さんから、ちょっと早いクリスマスプレゼントをいただいた。『玲瓏』の96号と、『よびごえ』の117号である。『玲瓏』を開くと、すてきなブックマークと、メッセージが。こんばんから夢中になって読める短歌が。もちろん、玉子さんの御作品から賞味いたしますとも、ええ、はい。
きょう、ブックオフで、堀口大學の『月下の一群』を手にして、ぱらぱらとめくりながら、欲しいなあと思った。べつの文庫で持ってるのにね。ぱらぱらめくってたら絵がついていて、これって初版の豪華な詩集で見たのといっしょのものかなって思って、よけいに欲しくなった。あした買いに行こうかな? それって、岩波文庫のやつなんだけどね。ぱらぱらめくっていたら、持ってる文庫には入ってないものもあるのかなって思うくらい、初見に近い感覚で読んだ詩があって、ラディゲとコクトーの詩なんだけど、ぼくの記憶違いかなあ。ぼくの持ってるのは、講談社の文芸文庫のやつ。いま開けたらあったわ、笑。
二〇一七年十二月二十三日 「笹原玉子さんの短歌」
シーツの白さで目が覚める、窓をあけるとからさわぎ、なんと麗(うらら)な間氷期
蒲公英が間氷期を横切つてあなたの朝戸でからさわぎ
しんしんと眠るは故宮、降るはときじく、書物のなかはからさわぎ
(『玲瓏』96号、玲瓏賞受賞第一作、「書物のなかはからさわぎ」より)
笹原玉子さんの短歌のよさのひとつに、「いさぎよさ」があると思うんだけど、これらの作品にも、それが如実にあらわれていると思われる。
二〇一七年十二月二十四日 「笹原玉子さんの短歌」
何うしても春のお歌が書けませんるりらりるれろはるらりるれよ
風に刻んだやうな文字だから娘たち「ビリチスの歌」にみんな手をふる
わたくしはきつと答へます。とびきりの問ひをください玲にして瓏な
(『玲瓏』96号、「玲にして瓏」より)
https://pic.twitter.com/vPp9QjMpkH
二〇一七年十二月二十五日 「笹原玉子さんの短歌」
なにもかも浮力のせヰですわたくしが長い手紙をしたためる朝
なにもかも浮力のせヰです半島が朝の手指をつぎつぎ放し
歩幅のゆらぎそのささやかな浮力のせヰであなたは朝を跨いでしまふ
(『よびごえ』117号、「朝露を両(もろ)手(て)にいただくその前に(芝公園にて)」より
二〇一七年十二月二十六日 「岡田ユアンさん」
岡田ユアンさんから詩集『水天のうつろい』を送っていただいた。
「ねむりのとなりで」という詩の冒頭2連を引用してみます。詩集中、もっとも共感した詩句でした。
いましがた
生まれた文字が
寝息をたてている
無数の意味が
選ばれることを心待ちにしながら
とり巻いていることも知らず
二〇一七年十二月二十七日 「福田拓也さん」
福田拓也さんから詩集『倭人伝断片』を送っていただいた。
冒頭収載のタイトル作から引用しよう。奇才だと思う。
前を歩く者の見えないくらい丈高い草の生えた道とも言えぬ道を歩くうちにわたしのちぐはぐな身体は四方八方に伸び広がり丹色の土の広場に出るまでもなくそこに刻まれたいくつかの文身の文様を頼りに、しきりに自分の身体に刻まれた傷、あの出来事の痕跡とも言えぬ痕跡、あるいは四通八通する道のりを想うばかり、編んだ草や茎の間から吹き込む風にわたしの睫毛は微かに揺れ、もう思い出すこともできないあの水面の震え、光と影が草の壁に反射して絶えず揺れ動き、やがてかがよい現われて来るものがある、
(詩篇・冒頭・第一連)
読んだばかりのスタージョンの短篇のさいごの場面が思い出されなくて、自分の記憶力の小ささに驚いた。「孤独の円盤」という有名な作品なのだけれど、数日前に読んだのだけれど、かんじんなさいごの場面、なぜ「孤独な円盤」というタイトルになったのかがわかるところが思い出されなかったのだ。残念。これから、もう一度、「孤独の円盤」のさいごのほうの場面を読み直そう。それにしても、部屋にある小説、ほとんどすべて読んだもので、傑作だと思うものばかり本棚に残してあるのだけれど、短篇はほとんど忘れていることに気がついた。このもろくて不確かな記憶力に自分でも驚いてしまう。超残念。
いま日知庵から帰ってきた。帰り道、雨のなか、頭のなかでは、スターキャッスルのセカンドのさいしょの曲が鳴ってた。これぞ、プログレって感じの曲だ。雨が降っている。雨で思い出したけど、琉球泡盛に「
春雨」っていうのがあって、日知庵のカウンターの上に並んでいた酒瓶のひとつなんだけれど、あ、写真は、ぼくの目のまえに置かれたお酒と肴の唐揚げとサラダスパゲッティなんだけど、「春の雨」って書いて、どうして、「
春雨」って読むんだろうって、お店のなかで、バイトしてる男の子に訊いたら、わかんないという返事があって、「どうして子音のSが入ったんだろうね?」って言って、「知ってるひとが、いるとは思うんだけどね。」って言って、こんなふうに子音が入る言葉ってほかにもあるかもしれないねって言ってたら、友だちの池ちゃんが、「それは違うと思う。」と言って、アンドロイドっていう携帯で調べてくれたら、「雨」って、「さめ」とも言って、「小さい雨」のことを「さめ」と言うらしくって、「雨」と書いて「さめ」とも呼ぶらしいと教えてくれた。そいえば、「小雨」のことを「こさめ」と言うものねって、ぼくが返事した。池ちゃんが、ぼくのさいしょの言葉に反応したのは、「
秋雨」という言葉があったからだと言うんだけど、池ちゃんは、ぼくが意見を言ったとき、音便で変化したのでないことは確かだから、調べてみるねって言ってくれたのだけれど、「
雨」に「
雨」って読み方があるってこと、「雨(さめ)」には、「小さな雨」っていう意味があることを知れて、ほんとによかった。うれしかった。
寝るまえの読書は、スタージョンの短篇集『一角獣・多角獣』か、ケネス・レクスロスの翻訳詩集にしようっと。うううん。友だちや、知らないひとが送ってくださる詩集を、さきに読んじゃうから、自分の読書計画がちっともはかどらない。まあ、このちっともはかどらないところがぼくの人生っぽいけどね。
二〇一七年十二月二十八日 「右肩さん」
見つかった! なにが? さがしていた詩句が見つかった。レクスロスの詩句で、気になっていたけれど、ルーズリーフには書き写そうとは思わなかったけれど、きょうになって、やっぱり書き写そうと思った詩句だ。
水はおなじことばをかたる。
なにかおしえてくれたにちがいない
これらの年月、これらの場所で
いつもおなじことをいっている。
(ケネス・レクスロス『心の庭/庭の心』Ⅱ、片桐ユズル訳)
ぼくも、これまで自分の詩や詩論で、「水」を潜在意識にあるもの、或いは、潜在意識そのものとして扱ってきたので、このレクスロスの詩句には、とても共感できたのだった。
よい詩を読むと、いや、すぐれた小説もなんだけど、頭が冴えて、眠れなくなる。つらいなあ。でも、やめれそうにもない。うううん。これから、クスリのんで、レクスロスの翻訳詩集のつづきを読もうっと。いま、64ページ目に入ろうとしているところ。
きょうは、夕方から、京都にこられる右肩さんとお酒をごいっしょする予定だ。きみやに行こうと思っている。右肩さんの詩、初見のときは読みにくかったけれど、数年もすると、とても読みやすいものになっていた。これは、読み手のぼくの進歩もあったのだろうけれど、書き手の進歩でもあったのだろう。
西院駅の駅そば屋「都うどん」に行ってくる。あったかい朝ご飯が欲しかったのだ。小さい掻き揚げ飯と、すそばで、440円。小銭入れを見たら、467円あったので、これで支払える。それでは、行ってきませり。
いま行ってきたら、お店の名前が「都そば」だった。きょうは、お昼から出かけるから、あさにしっかり食べようと思って、「イカ天丼定食」なるものを食べた。イカの天ぷらと掻き揚げが丼ご飯にのっかってるものと、すそばね。590円だった。帰りに、セブイレで、「味わいカルピス」152円を買った。
いま、きみやから帰ってきた。詩人の右肩さんと、ごいっしょしてた。共通の読み物の話とか、俳句や現代美術の話とかしてた。あしたは、右肩さんと、日知庵におじゃまする予定。
二〇一七年十二月二十九日 「右肩さん」
ケネス・レクスロスの翻訳詩集を読み終わった。もう一度、翻訳された詩を読み直そうと思う。しかし、きょうは、もう遅い。読み直しは、あしたから。きょうは、スタージョンの短篇集『一角獣・多角獣』のつづきを読みながら寝よう。
いま日知庵から帰ってきた。ついさきほどまで、詩人の右肩さんと日知庵でごいっしょしてた。きょうも、詩について、詩人について話をしてた。写真に写っているのは、右肩さんの右手だ。きょうも、ぼくはヨッパだった。ロクでもないことをしゃべっていたのではないかと省みる。反省。しゃ~。恥ずかし。
きょう、寝るまえの読書は、スタージョンの短篇集『一角獣・多角獣』のつづきを読むことにしよう。いま、ヨッパだから、数時間は、クスリをのめない。でも、ようやく、文字を目に通すことができるようになったみたいだ。この半年くらいのあいだだが、病気で、あまり文字を読むことができなかったのだ。
ひとつ思い出した。ぼくの誕生日が1月10日なのだけど、戸籍上は1月12日になっていて、右肩さんの誕生日が1月11日なので、右肩さんが「虚と実のあいだですね。」とおっしゃったことを思い出した。齢は同い年で、ふたりとも、1961年生まれである。きのうは、同学年の者がカウンターに4人も並んだ。
もひとつ、思い出した。右肩さんが、ぼくの詩「高野川」のことを高評価してくださってたのだけれど、もっとも親しいぼくの友だちの大谷良太くんも、ぼくの詩「高野川」を高評価してくれてたことを、ぼくの詩「高野川」がいいと言ってくださった右肩さんに話した。
二〇一七年十二月三十日 「右肩さん」
ツイートに右肩さんが書いてらしたように、ぼくの右横にいた女性客が(ぼくたちは、そのお名前から、「さき
姉」と呼んでいます。)「28歳が(…)」とおっしゃったので、ぼくがすかさず、「28歳というと、文学作品によく出てくるんですよ。ぼくはその部分をルーズリーフに書き写して引用したことがありますよ。」って話しました。28歳って、もう子どものように若くもないし、かといって完璧な大人って感じでもないし、なんなんでしょうねって話をしたことを思い出した。右肩さん、よくぞ憶えていてくださった。こうして記憶がちゃんと収まるところに収まるのは気持ちがいいことなんだなと思った。
そだ、もひとつ思い出した。よく「小学生並みの詩だな。」なんてこと書くやつらがいるけれど、小学生の詩ってすごくって、『せんせい、あのね』って本に載ってる小学生の詩ってすごいですよねって右肩さんに言ったら、右肩さんもそうおっしゃてた。ぼくはひとにあげてもう持っていないんだけど、残念。それで、アマゾンで検索したら、2000円くらいしてて、あちゃ~、手放さなければよかったと思った。子どもが書いたとてもいい詩がいっぱい入ってた。
いま日地庵から帰ってきた。25歳と26歳の男の子とくっちゃべっていた。彼らは幼馴染で、ふたりとも営業マンだった。企業の顔だねって、ぼくは言った。企業の最先端だねっとも、ぼくは言った。ほんとに、そう思うからだけれど、ふたりからそうおっしゃっていただけてうれしいですと返事してくれた。
二〇一七年十二月三十一日 「死ね、名演奏家、死ね」
これから日知庵に行く。きのう寝るまえに、スタージョンの短篇「死ね、名演奏家、死ね」を読んで寝た。SFではなくて、グロテスクなだけの作品だったのだが、嫉妬というものがよくあらわされている作品なのだとも思った。短篇、あとひとつで、短篇集『一角獣・多角獣』を読み終わる。帰ってから読もう。