静寂の裏側の出来事
ホロウ・シカエルボク


怒りとも悲しみともつかない咆哮が脳裏でずっと続いていた、目蓋と眼球の間に、書き上げることが出来ない手紙が、皺にならないように丁寧に慎重に差し込まれているみたいで、そんな行場のない思いは瘡蓋の下でじくじくと膿んでいる古い傷のように僕の心情に爪痕のような上書きをいくつも刻みつけた、まるで心だけが吹雪にさらされているみたいだ、感想にはなんの意味もなかった、秋口の山肌を枯葉が風に弄ばれて転げ落ちているようなものだった、だから僕は感覚について言葉で確認することの一切を取りやめた、一方通行でしかない時間はまるで融通が利かなくて、ペットボトルの水はそいつに引っ張られてだんだんと温くなる、同じリズムだ、と僕は思った、生まれたときからずっと、肉体の周りで蠢いている限定されたジャンルのリズム、そいつには名前のつけようがなかった、といっても、あくまで、感情という部分でということだけど―強いて言うならばそれはいらだちとでも呼ぶべきものだったかもしれない、でもそれはそんな冠を乗せるには少し緩慢に過ぎたし、いらだちという感覚自身、僕にとって馴染みのあるものなのかどうかというのは非常に繊細で微妙な問題だった、それがどこから始まったのかは自分でもよくわからないのだけど、ある種の人間たちがこぞって人間らしさと呼びたがる様々な感情を、僕はどこかに置き忘れてきたらしかった、僕はどちらかというとそういった人間らしさというものを無残なものだと考えていて、そんな項目に手を付けることを出来る限り避けていた、だから、僕が人間らしくないという見解については自分自身完全に同意せざるを得ない、僕はそういった種類の定義が大嫌いなのだ、虫唾が走るくらいに︙だから、もしかしたら、そういった種類の人たちならばこんな感覚をもっと上手く説明出来るのかもしれない、と考えなくもない、でも、そういった種類の人間たちは得てして、語るという行為において致命的な欠陥を持っている、それについては僕がわざわざ説明するまでもないことだ、それがどういうことなのかということについてはみんな、おのずと理解出来るはずだ︙神経症的に、機械工学的に完璧な円のまま穿たれた洞穴の中を咆哮は反響している、ものすごくゆっくりに設定したディレイ・エコーみたいに語尾が弛んでいる、マシンガンが欲しいな、と僕は考える、あの語尾の尻尾を皆殺しにしたいのだ、全弾撃ち尽くすまで撃って、弛んだ語尾を撲滅したいのだ、そうすれば不快な耳鳴りに悩まされることもないだろうに、記憶が刻まれた脳味噌の皺について、バグがいくつかの障害を囁く、どちらが本当だろう、と僕は考える、そもそも僕は生身のバグのようなものだ、あくまで僕以外の標準的ななにかを基準にした場合ということだけど、それについては僕はひたすら反省を繰り返す以外にない、僕は、あらゆる誤差を本能的に理解していながら、どこかでそれを出来る限り修正していこうとしていたのだ、恥ずべきことだ、それは生命としての終焉のようなものだ、そう、そんなことは、別にどうだっていいことなのだ、誰かと手を繋いで棺桶に横たわるわけではないのだから︙ねえ君、台風が近づいている、と、スマートフォンがやたらに話しかけてくる、いいんだよ、と僕はその度に返事をする、でも、やつはそれを決して聞こうとはしない、でも、とか、だけど、とかいう調子で、ひたすら情報を垂れ流してくる、誰も彼も勘違いしてやがるんだ、情報量が多いことが文明社会の証だって、でもそれは圧倒的に間違っている、電波に乗ってやってくる真実は肉体に刻まれはしない、皆画面をスクロールすることに慣れ過ぎてそのことを忘れているのだ、そうだろ、そう思わないか、何度目かの通知のあと、僕はスマートフォンにそう話しかける、うるさいな、とやつはいらいらした調子で答える、君が言ってるのはあくまで受信者としての問題なんだ、と口調をさらに荒げる、僕にどうこう言うようなことじゃない、そうだろ?君はいつもそうだ、と僕は返す、自身のスペックをフル稼働してあらゆるものをこちらに押し付けてあとは知らん顔、こちらがそれに乗っかれば当然みたいな顔をして、出来なければ見下した目をしてみせる、だからなんだ、これが僕の役目なんだ、とやつは叫ぶ、君はそうやって、面倒臭いことを言って誰かと違う自分がそこに生きているって信じたいだけなんだ、まったくうんざりするよ、朝から番まで僕を撫で回して陰鬱な比喩ばっかり書きやがってさ、あのさ、と僕は作為的な冷たさを演じながら言う、君は随分優しく撫でてもらうことに慣れているんだろうね、やつは顔を真っ赤にして、搭載されている様々なサウンドを次々に鳴らす、そして、もう知らない、勝手にしなよとそっぽを向く、僕はやつのホームボタンを何度も押してからかい、ゲタゲタと笑う、そんなことをしている間に語尾はもっと弛んで、どこまであるのかわからない洞穴のずっと奥の方に足を伸ばしていた。


自由詩 静寂の裏側の出来事 Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-09-17 18:02:52
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