麻生太郎さんも森善朗さんも詩人ではない
足立らどみ

 私は今だに電車通勤してる普通のお疲れモードの
おっさん会社員なので元気な若者に憧れているだけ
なのかもしれませんが、元気な若者 = アスリート
ではないことぐらいは知っていて、それでも、政治
じゃなかったアスリートの話しをしたいのは、生きる
という生きているという自分に日々、何かを見つけたい
詩の住処を見つけたいおっさんなのです。

 もちろん、アスリートもピンキリですが、日毎日毎の
永遠に繰り返される食事管理、質と量の睡眠管理、風邪
薬も飲めない薬物反応への対策と練習以外に行うことが
多すぎて24時間、365日アスリートを意識しないと
勝てないどころか大きな大会にも出られないのだから、
ダンサーもそうだろうけれど、彼らそのものがポエムだ
としてしまうと、詩人は必ずしも、ポエムとして24時間
生きていなくていいのだから、なんだかかえってアスリートの皆様が詩人なのではと錯覚してしまう。

 詩を書けない詩人なんて詩人ではないと私は思っているか
らアスリートは詩人ではないと思う。だけど、アスリートの
発する言葉には、気持ちいいとか最高とかの普通の言葉でも
ヒーローインタビューでも、ツイッターのひと言でも、共鳴
してしまう力があって、その影響は今後ますます強くなって
しまうのかもしれません。

 結果、言葉に対する詩人の領域は、
またまた狭まるのでしょうか。


自由詩 麻生太郎さんも森善朗さんも詩人ではない Copyright 足立らどみ 2021-09-12 15:30:32
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