金星
本田憲嵩
ここに来たのは
いったいどれくらいぶりだろう
遅い昼下がり
海岸沿いの辺鄙な道の駅は
物産品を買い求める人々や
ソフトクリームやドリンクを注文する人々で溢れかえっている
少年たちが戯れる海岸沿い
カップルや夫婦連れ
ベンチに座る
備え付けの望遠鏡を覗き込めば
思いもよらず拡大されて映し出された船
こんなにも大きく映すのかと
なぜか新鮮でほんの小さな感動
本物は水平線の近く 小さく小さく
けれどもきっとそのほうが良い
近くで見えてしまうよりも
はるか遠くにあるものを常に見続けていたい
海は金色の夕陽にもはや染まりつつある
自動車にもどり
シートを倒して
ほんの少しだけ眠りについた
前座席の両側の窓はほんの少しだけ開けてある
青い波の音
行き交う人々の声 その足音の喧騒
自動車の発進してゆくエンジン音
それらの流れ
いつだって変わらぬ潤いのある営み
いつだって変わらぬ歴史の水を含んだ風に心地よく晒されながら
身体に纏っていた諸々の書面と字面は
とりあえず剥がれ落ちてゆく
陽はいつのまにか沈み
人々や自動車までもが
駐車場からもはやすっかりと剥がれ落ちてしまった
まるでいつまでも取り込まれずにいる
物干し竿の夜の洗濯物
ヘッドライトを付けて自動車で道の駅を後にする
とおくの海では小さな漁船が明るく灯っている
その金星からぼくは敢えて遠ざかろうとする
(本格的なドライブへと乗り出す前に
ついでに会社の前を通り過ぎていた
駐車場には休日だというのに
何台かの車が停めてあった)
剥がれ落ちた諸々の書面と字面は
明日の朝 制服の左ポケットにすぐ纏えるように
紙のメモ帳として鞄の中から取り出して
すでに助手席の上に置いてある