越境者
ただのみきや
墓地と少女と蝶と
墓地を巡って柵を越え
黄色い蝶が迷い込んだ
少女の額にそっと
押し当てられる口形
珠になってこぼれて落ちた
奏できれない音色のしみ
*
夏の墓地はここちよい
見知らぬ少女と仲良くなって
いっしょに四つ葉をさがしていた
見つけるまでは帰らないと
日が暮れるまで頑張って
すっかり暗くなったころ
探しに来た父親に叱られて
連れ帰される その時
少女の姿はすでになく
顔もぼやけて憶えてないが
おかっぱ頭のかわいい子
夏の墓地は甘酸っぱい
数十年ぶりに訪れた
墓地では風が一面のブタナを揺らし
黄色い蝶が墓石の間を巡っている
しゃがんで四つ葉を探せば
目の横に
小さな赤い着物
わたしもまた少年のまま
甘酸っぱく
老いた分だけすこし哀しい
夕べに顔をベールで被う
留め置かれた白い翼はいま
切れ切れになり
永すぎる蒼穹に磔にされた
堕天使の翼が散って往く
西の地平から漏れ出した
ゲヘナの炎に焼かれながら
静寂と騒めきが共に飽和する
群青の目隠しの向こう
人のかたちの哀れみも
間もなく閉ざされる
念じる者はいる
論じる者もいる
禁じる者も断じる者も
だが慣用句以外
祈る者はいない
卵生人語
流れるように還りつく
抑揚のない時間
結ぼれたまま膨らんだ
ひとつの宇宙が
開花する
ひとつの墓が
永久を装う泡沫が
笑うように弾けて
なみだひとつ
大河にのまれ
咲くことで
死に
愛撫され
風のような虫のような
眼差しの囁きに
犯されて
淡くほつれた
蛭子の夢は
白く捲れる
昼夜の果てへ
花よ花
忘却の記号に映る
影のゆらめき
越境者
小さな蛾が迷い込む
悪さもしないかと放っておいたが
灯りを消して動画など見ていると
いい場面のいい場所に張り付いて
どうにも気になって仕様がない
シジミチョウより小さなやつだ
地味で 控え目なやつ
ちょっと可愛い気もする
その時点でもうだめだろう
終りまで放っておくしかない
たった数日のことと思ったが
翌日にはもう見なかった
窓辺か照明の縁か
でなければ本棚の裏辺り
夏生まれは夏が好き
自分にしか当てはまらなくてもそう思う
いのちが溢れ
いのちが繁り
わっさわっさと生まれては
ばったばったと死んでゆく
生は死によって完了し
物質は分解されて循環し
異界や輪廻に人は片思いのまま
だが季節は変わらず生と死の
祝祭と祭儀を繰り返す
ひとつの元型を保った
演劇として
伝統芸能として
草木や鳥や虫たちは遥かに代を重ね
洗練を極めている
古の
賓は忘却の彼方でも
夏にはどこか曖昧な
合理的でも理性的でもない影が
蚊飛症のように正気を過る
生死を越境したささやきが
届きそうで届かない
水底の灯火に群れている
《2021年7月18日》