暗い道
佐々宝砂

急がなきゃ。
と思うのだけど暗い。
思うように進めない。

 あたりはいちめんの草むら、猫じゃらし、
 ときどきひょいとバッタが飛ぶ、
 川の向こうには何かが明滅している、しかし
 その光は全く地を照らすことがない。

帰らなくては。
でも。
家はどこだろう。
わからないけど歩いてゆく。
暗い道だ。
くらあい道だ。

 星も月もない空は曇っているのか、
 それとも月も星もどこか遠くに去ってしまったのか、
 しかし、闇に閉ざされた空には
 確かに何かがある、か、いる、か、する気配。

寒い。
半袖から覗く腕には蚊の食い跡。
いまはきっと夏だと思う。
でも寒い。
さむいさむいさむいさむい。

 暗い空に、
 群青の山のシルエットが浮かびあがる。
 青い光が
 山より大きい異様な入道の姿を浮かびあがらせる。
 でもこの光も地を照らさない。
 続いて現れる夜空の半分を埋め尽くす女頭の蛇、
 螺旋を描くその胴体に刻まれた紋様は唐草。

手が冷たい。
自分の息を吐きかける。
すこしもあたたかくない。
おんなへびはきらいだ、
あいつの舌はつめたいし、
息はなまぐさい。

 群青の山の背後にまた光が射す。
 今度の光は炎の舌のように不安定に揺らぎ、
 光に照らされた入道は
 おろおろと姿を山のうしろに隠し、
 女頭の蛇は顔色変えて光に向かって息を吹き、
 光は一瞬暗くなったが、
 勢いを取り戻して蛇を焼き尽くし、
 女蛇の断末魔。しかし音は一切きこえない。

ああ、思い出したよ。
思い出したよ。
そうなんだ、
そうなんだよ。
山がくらりと焼け落ちるねえ。
おんなへびも燃えてゆくねえ。
ありがとう。
ありがとう。

 山の向こうほのぼのと光がみえ、
 地を照らし、旅人を導き。
 それはやがて小さいが確かなひとつの灯りとなり。

かあさん、
待っていてね。
もうすぐ行くから。

 暗い道で、老女が古鍋のなか木ぎれを焼いている。
 夏の夜はまだ浅く街の喧噪が遠くきこえる。
 皓々と明るい玄関の戸がからりひらき、
 続いて「かあさん、俺も迎え火を焚くよ」と、
 壮年の男の声がする。


自由詩 暗い道 Copyright 佐々宝砂 2021-07-13 12:29:49
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