蜃気楼に傷口
ホロウ・シカエルボク


時の流れに飲み込まれていく生命の波動をこぼすまいともがき、足掻き、意味の判らぬ声を発する、その刹那、常識と限界を飛び越えた者だけが新しい詩を得るだろう、漆黒の闇の中でも、微かな火種さえあれば光は生まれる、刃となって空間を真っ二つにする、慰めや安心の為の言葉になどなんの意味もない、不安や怖れの中で目を見開いてこそ本当の言葉は生まれる、睡魔に負けそうなら薄皮を切り破り己が血を啜ればいい、痛みと緩やかな背徳の中で命は渦巻き、向かうべき場所へと疾走を始めるだろう、たったひとつの、確かな言葉の為にどれほどの人間が人生を棒に振るのだろう、砂から金を作り出す術を信じてしまったみたいに目を血走らせて、書き留めた幾つもの閃きの中に埋もれ、自ら作り上げた迷路の中で行先を失くしてしまう、滑稽が込み入り過ぎた笑えない冗談のようだ、それでも新しい足跡は絶えない、真実を求める人々は必ずどこかからそこに現れ、その中で死に絶えていく、ああ、俺の中にある歌、お前にその旋律を伝えることが出来ればいいのに、口に出したとたんにそれは姿を変えてしまう、意味を変え、または失くし、効力を失った古代魔術の呪文のように漂うだけになってしまう、神であるには至らな過ぎる、けれども人であるには自覚的であり過ぎるのだ、社会はひとりの人生を手に入れることが出来ない連中の為の松葉杖、だから見ろ、そこに居る連中は誰かの足を引っ張り続けている、蜘蛛の糸に群がる亡者のようにね、鼓動にはまだ見つけられていない言葉がある、それはひとつ鳴る度に更新される、アップデートされていくのだ、俺たちの感覚では間に合わない、ログにすら残されない、瞬間瞬間によって、偶然こぼれたもの、吐き出されたものを拾い上げて飲み込んでいくしかない、それはとても巧妙な文字であり、とても巧妙な文節であり、とても難解な意味がまるで一本一本の糸となって、タペストリーのように織られている、それを解き、知ろうとし過ぎると次に来るものを見落としてしまう、それぞれの意味を抱きしめることは出来ない、すべては打ち寄せて去っていく波のように素気ない、砂浜に立ってそのすべてを漠然と受け止めること以外に俺たちに出来ることはないだろう、でもそれは何もしないよりずっとマシなことには違いない、どんな矛盾が生じても構わない、辻褄を合せる為に生きているわけではないのだ、生命のすべては矛盾の中で息をしている、それを息苦しいと感じるのか、それとも心地いいと感じるのか、それはすべての、すべての歌を求める者たちの感性による、例えば俺がそれはこういうわけだと決めてしまうわけにはいかないものだ、たとえそうしてみせたところで、なるほどそうかと腑に落ちるようなものなどひとりも居やしないだろう、それは俺のあらゆる認識を越えているものなのだ、もちろん、お前にとってもそうだ、その本質は誰に見えるものでもない、たかだか百年の人生の為に生を受ける生きものになど、何度転生したところで理解出来るものではないだろう、、ああ、俺はずっと、死のないものになりたいと考えている、そうすればずっと、自分のフレーズがどこへ向かっているのか知り続けていくことが出来るのに、幾つか目にした棺桶たちが火の中から語り掛けてきたもの、その真っ白な骨が灰の中で語り掛けてきたもの、それは耳鳴りのような音になって今も鳴り続けている、アデュー、意味を失った者たちよ、後は俺に任せて何も考える必要のない世界に行けばいい、それが天国だろうが地獄だろうが俺にとっては最も怖ろしい場所だということになんら違いはない、窓に張り付いて外を眺める、このところずっと空には黒雲がなにかもの言いたげに留まっていて、人々はイラついたり細やかに絶望したりしながら生きている、雨でも晴れでもやつらがやることなんかそんなに変わりはしないのに、俺はカッターを取り出し、ソファーの革張りを切り裂く、綿や、木材の欠片が飛び散り、床に散乱する、まるで不器用な血液のように、俺は道化師のような笑みと殺意を持ってそれを執り行う、休日の午後が切り刻まれて散らばっていく、あまり気に留めるなよ、詩人はいつだって種をばら撒き過ぎる傾向があるものだ、狂気じゃない、それは日常と同じものだ、そして日常よりもずっと、したたかな意志を持っているなにかだ、「ザ・ウォール」っていう映画、観たことがあるかい?俺はいま、それに近いなにかについて話し続けているんだよ、なあ、俺は出来ることなら意志をもって壁を築きあげたい、時は心臓を削りながら一刻、また一刻と過ぎていく、俺は概念の血に塗れながらまた新しい死の中で薄ら笑いを浮かべている。


自由詩 蜃気楼に傷口 Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-07-05 15:35:01
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