一九七八年のこと
板谷みきょう
あの時
死んでくれていたらねぇ
深い溜息の後に
小さく呟いたアナタは
あの時
命だけでも救って下さい
確かにそう言った
あれから六年の歳月が流れ
あの時三歳だったこの子も
本当なら元気に
小学校に通っていたはず
トラックにはねられ
意識不明で運ばれた時に
頭蓋骨は陥没し
脳漿が流れ出していた
検査の後、緊急手術になり
午後から深夜にかけて
執刀医が必要とする器械を
ボクは手渡し続けてたのだ
結局、この子の命は救えたが
植物状態となってしまった
脳浮腫や脳圧亢進予防に
頭骨の一部は外されたまま
点滴による静脈栄養と
経鼻カテーテルの挿入で
リハビリを続けたが
四肢の拘縮は進んで行った
アナタは病院に寝泊まりし
付添い続け夫と離婚し
三十路を過ぎてから
ホステスとして働き始めた
夜間は
家政婦協会から
紹介された付添婦に介護を頼み
帰って来てから
時折、いねむりしながら
息子の世話をする
頭のへこんで話のできない
手足が曲がったまま
鼻に管を入れられてる
歯並びのガタガタな我が子を
二時間おきに体交枕の位置を変え
床擦れを気にしながら
オムツを換える
すっかり化粧っ気も無くして
眉毛の無いままで
喫煙所で煙草をふかしながら
あの時
死んでくれていたらねぇ
深い溜息の後に
アナタは小さく呟いた