詩の日めくり 二〇一六年十一月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一六年十一月一日 「いやならいやって言えばいいのに。」


えっ
まだ高校生なの
そういえば
なんだか
高校生のときに好きだった
友だちに似てる
あんにゃん
って呼んでた
同じ塾に通ってた
あんにゃんが行ってるって聞いて
あとから
ぼくが入ったんだけど
高一の夏休みから高二の夏休みにかけて
昼休みには
高校を抜け出して
何人かの友だちと
パチンコ屋に行って
五時間目にはよく遅刻してた
あんにゃんの自転車の後ろに乗っけられて
ぼくは
あんにゃんの腰につかまってたんだけど
ときどき腕を前にまわして
そしたら
腕の内側で
あんにゃんのお腹の感触を
恥ずかしいぐらいに感じちゃって
服を通してだけど
自転車がガタガタ上下するたびに
あんにゃんのお腹に力が入って
あんにゃんの腹筋がかたくなったことを
ぼくは覚えてる
ああ
むかし
かなわなかった夢が
いまかなう
あんにゃんとは
なにもなくって
でも
奇跡ってあるんだね
あんにゃんとは
なにもなかったからかな
キラキラと輝いてた
たまらなく好きだった
あんにゃんの手は
鉄の臭いがした
体育の時間だった
あんにゃんは鉄棒が得意だった
背はちっさかったけど
筋肉のかたまりだったから
ぼくは逆上がりもできないデブだった
あっ
いまもデブだけど
うん
あっ
でね
あんにゃんは
逆上がりのできないぼくに
手を貸してくれて
できるようにって
いっしょうけんめい手助けしてくれてね
あっ
この公園には
よく来るの
たまに
ふうん
みんな
そう言うけど
どうかなあ
ほんとに
ふうん
あっ
あれ
見て
あのオジン
蹴飛ばされてやんの
誰彼かまわず声かけまくって
ひつこく迫るからだよね
相手がいやがってるの
わかんないのかなあ
きみのさわってもいい
かたくなってきたね
じかにさわっていい
やっぱり
高校生だよね
このかたさ
ヌルヌルしてきたね
どう
イキそう
まだ
目をつぶった顔がまたかわいいね
ほんと
あんにゃんにそっくり
えっ
突然立ち上がって
どしたの
えっ
えっ
どしたの
どこ行くの


二〇一六年十一月二日 「ぼくの詩の英訳」


 友だちのジェフリー・アングルスさんが、ぼくの詩を英語に訳して紹介してくださいました。

http://queenmobs.com/2016/11/22392/

 思潮社オンデマンドから出した田中宏輔の『ゲイ・ポエムズ』が、きのうあたり1冊、売れたみたいだ。うれしい。ジェフリーが一部を英訳して紹介してくださったおかげだろうと思う。ありがたい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%82%BA-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783734070/ref=sr_1_14?s=books&ie=UTF8&qid=1478327320&sr=1-14&keywords=%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89


二〇一六年十一月三日 「『フラナリー・オコナー全短篇』上巻」


『フラナリー・オコナー全短篇』上巻を読んでいるのだが、おもしろくなくはないんだけれど、なんか足りない感じがする。いや、足りないんじゃなくて、読んでて共感できない部分が多いって感じかな。でもまあ、読みかけたものだから、きょうは、つづきを読んで寝よう。


二〇一六年十一月四日 「切断」


 人間には男性と女性の二つの性があって、どこで人間を切断しても、男性に近いほうの切断面は女性に、女性に近いほうの切断面は男性になる。切断喫茶に行くと、テーブルのうえで指を関節ごとに切断してくれる。指と指はその切断面が男性になったり女性になったり、くるくるとテーブルのうえで回転する。


二〇一六年十一月五日 「悲鳴クレヨン。」


 クレヨンにも性別年齢があって、1本1本異なる悲鳴をあげる。さまざまな色を使って絵を描くと、その絵のクレヨンから、小さな男の子の悲鳴や幼い女の子の悲鳴や声変わりしたばかりの男の子の悲鳴や成人女性の悲鳴や齢老いた男の悲鳴や齢とった女性の悲鳴が聞こえてくる。壮絶な悲鳴だ。


二〇一六年十一月六日 「『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』」


 きょうは、読書が、すいすいと進んだ。読みはじめたばかりの『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』も、もうさいごから2番目の作品、デイヴィッド・I・マッスンの「旅人の憩い」のさいごのほうである。あとひとつ、ジョン・ブラナーの「思考の{ルビ谺=こだま}」を読み残すばかり。きょうの寝るまえの読書は、ジョン・ブラナーの『思考のこだま』 イギリスの作家かなと思えるほど、描写がえげつない。ああ、いま確認すると、イギリス人だった。『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』に収録されているものの前半はいかにもアメリカSFって感じだったけれど。しかも、さいしょのルイス・パジェットの「ボロゴーヴはミムジイ」って、つぎに収録されている、レイモンド・F・ジョーンズの「子どもの部屋」と、ほとんど同じような設定で(ぼくにはね)なんで同時収録したのだろうかと疑問に思えるほどに似た雰囲気の作品だった。ジョン・ブラナーの「思考のこだま」を読み終わった。ハッピー・エンドでよかった。物語はせめてそうでないと、笑。ほっぽり出してるフラナリー・オコナーの全短篇・上巻をいま手にしてるのだが、まあ、これはほとんど救いのない物語ばかり。


二〇一六年十一月七日 「旧敵との出逢い」


 とりあえず、いま、『フラナリー・オコナー全短篇』上巻を読んでいる。ちょうど、半分くらいのところ、「旧敵との出逢い」という短篇。100歳を越えたおじいさんが主人公のよう。語り手は、その孫という設定。いろんなタイプの作品を書いたひとなのだとは思うし、うまいけど、厭な感じが付きまとう。厭な感じって嫌いじゃないんだけどね。というか、好きかもしれないのだけど。アンナ・カヴァンといい、P・D・ジェイムズといい、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアといい、フラナリー・オコナーといい、厭な感じの作品を書くのは、女性作家が多いような気がする。


二〇一六年十一月八日 「死の鳥」


 ハーラン・エリスンの短篇集『死の鳥』2篇目を読んで、クズだと判断して、本を破って、クズ入れに捨てた。こんなことするの久しぶり。それくらい質が低い短篇集だった。何読もうかな。『フラナリー・オコナー全短篇』下巻にしよう。


二〇一六年十一月九日 「磔台」


ある朝
街のある四つ辻に
磔台が拵えてあった
道行く人はみな知らん顔を装っていたが
それでいて
磔木の影さえ踏まないよう
用心しながら通り過ぎて行った
そして
ある朝
ある見知らぬ人がひとり
磔になっていた
道行く人はみな知らん顔を装っていたが
それでいて
磔木の影さえ踏まないよう
用心しながら通り過ぎて行った
やがて
ある朝
その人が亡くなり
代わりに
ぼくが磔台に上った
道行く人はみな知らん顔を装っていたが
それでいて
磔木の影さえ踏まないよう
用心しながら通り過ぎて行った


二〇一六年十一月十日 「『フラナリー・オコナー全短篇』下巻」


『フラナリー・オコナー全短篇』の下巻を読んでいたのだが、黒人が出てこない作品がほとんどない。まだ差別のある時代に書かれたものだからかもしれないが、それにしても黒人の言及が多い。逆にいえば、モチーフにそれ以外のものを扱うことができなかったのかもしれない。

二〇一六年十一月十一日 「死刑制度に反対する人たちに対する死刑制度賛成論者たちに提言。」


犯罪者を遺族たちに殺させるというもの
被害者がされたことと同じ方法で
いわゆる
『同害報復法』ってヤツ
『仇討ち』とも言うのかな
さらに犯罪抑止力にもなって
被害者の遺族たちの感情も十分考慮されていると思うけど
どうかしら
おまけに
その様子をテレビ中継でもしたら
もっと犯罪抑止力になるってーの
どうかしら
モヒトツ
オマケに
遺族たちが犯人の死体と記念撮影までするってーの
どかしら


二〇一六年十一月十二日 「見ないでブリブリ事件」


これは
ごく最近
シンちゃんが
ぼくに話してくれた話
京極にある八千代館っていうポルノ映画館の前に
小さな公園がある
明け方近くの薄紫色の時間に
その公園のベンチの上で
男が一人
ジーンズを
おろしてしゃがんでいたという
シンちゃんが近寄ると
丸出しのお尻を突き出して
「これ抜いて」と言ったらしい
見ると
ボールペンの先がちょこっと出てたらしい
すると
すごくさわやかな感じのその青年は
もう一度
恥ずかしそうに振り返って
「これ抜いて」って言ったらしい
抜いてやると
「見ないで」って言って
そこに
ブリブリ
うんこをひり出したという
シンちゃんが見てると
また
「見ないで」って言って
また
ブリブリッと
うんこをたれたという
これを
「見ないでブリブリ事件」と名づけて
ぼくは何人かの近しい友人たちに
電話で教えまくった
「見ないで」
ブリブリッ


二〇一六年十一月十三日 「39歳」


『フラナリー・オコナー全短篇」下巻を読み終わった。上巻も通して全篇、黒人問題が絡んでいた。バラエティーが豊かなのだが、狭いとも思われる、奇妙な感触だ。39歳で亡くなったというのだけれど、若くて死ぬ詩人や作家は、ぼくには卑怯な面があると思われる。才能のある時期に死んだという面でだ。


二〇一六年十一月十四日 「白い紙。」


空っぽな階段を
人の形に似せた
長方形の紙に切り目を入れてつくっただけの
白い紙が
ひとの大きさの半分くらいの
一枚の白い紙が
ゆっくりと降りてくるのが見えた
ぼくは
机に向かって坐っていたのだけれど
ドアもしまっていて
見えないはずなのだけれど
なぜだか、ぼくには
階段のところも見えていて
人の形をした白い紙が
階段を降りてくるのが見えた
軽い足取りのはずだけど
しっかり踏み段に足をつけて
白い紙が降りてくる
ぼくは、机の上のカレンダーと
階段の人の形をした紙を同時に見てた

だれでもない

その日
帰りしな
駅のホームのなかで
ひとの大きさの白い紙がたくさん寄って
同じ大きさの一枚の白い紙を囲んで
ゆらゆらゆれているのを見た


二〇一六年十一月十五日 「名前」


ぼくは
ふと
手のひらのなかの小さな声に耳を傾けた
それは名前だった
名前は死んでいた

なぜ
そのひとときを
彼は
ぼくといっしょに過ごしたいと思ったのか。

そして
その疑問は
自分自身にも跳ね返ってくる。

なぜ
そのひとときを
ぼくは
彼といっしょに過ごしたいと思ったのか。

それが愛の行為だったのだろうか。

彼のよろこびは
ぼくのよろこびのためのものではなかった。

ぼくのよろこびもまた
彼のよろこびのためのものではなかった。

彼のよろこびは
彼のためのものだったし、

ぼくのよろこびは
ぼくのためのものであった。

彼は
ぼくのことを愛していると言った。
ぼくはうれしかった

どんなにひどい裏切られ方をするのかと
思いをめぐらせて。


二〇一六年十一月十六日 「見事な牛。」


見蕩れるほどに美しい曲線を描く玉葱と
オレンジ色のまばゆい光沢のすばらしいサーモンを買っていく
見事な牛。


二〇一六年十一月十七日 「死んだ四角だ。」


さあ
きみの手を
夏の夕べの浜辺と取り替えようね。
わたしに吹く風は
きみの吐息のぬくもりに彩られて
あまい眩暈だ。
きみの朝の空は四角い吐息で
窓辺にいくつも落ちていた。
死んだ四角だ。
そうやって
四角は
わたしにいつだって語りかけるのだ。

おばあちゃん子だったぼくは
ドレミファソラシド。
どの家の子とも遊ばせてもらえなかった。

二つの風景が一つのプレパラートの上に置かれる。

しばしば解釈の筋肉が疲労する。


二〇一六年十一月十八日 「まるで悲しむことが悪いことであるかのように」


まるで悲しむことが悪いことであるかのように
πのことを調べていると
ケチャップと卵がパンの上からこぼれて
コーヒーめがけてダイブした
ショパンの曲が流れ出した
世界一つまらないホームページという
ホームページにアクセスすると
3万5540桁あたりで
7という数字がはじめて5つ並んでいるのを
ジミーちゃんが見つけた
あと
28万3970桁あたりと
40万1680桁あたりと
42万7740桁あたりにも
7が5つ並んでて
7が7つ並んでいるのを
45万2700桁あたりに見つけたっていう話だ
ぼくはジミーちゃんを友だちにもてて
たいへんうれぴーのことよ
すてきなことよ
この間なんて
花見小路の場外馬券売り場に行ったら
もう時間が過ぎてたから
生まれてはじめて買うはずの馬券が買えなかった
っていう
すてきなジミーちゃん
花見小路に
造花の桜の花が飾ってあったけど
すぐそばの建仁寺に突き当たったところには
ほんとの桜が咲いていた
という
豚汁がおいしかった
彫刻刃で削ったカツオの削り節が
よくきいていた
ジャンジャンバリバリ
ジャンジャンバリバリ

詩に飽きたころに
小説でオジャン
あれを見たまえ


二〇一六年十一月十九日 「文学ゲーム・シリーズ ギリシア神話2 『アンドロメダ』新発売!」


どうしてわたしが語意につながれて
こんな違和の上に立たされているのかわからない
差異が打ち寄せる違和の上
同意義語が吹きすさび
差異の欠片が比喩となって打ちかかる
きつい差異が打ち寄せるたび
ぐらぐらと違和が揺れる
どうしてわたしが語意につながれて
こんな違和の上に立たされているのかわからない
差異が打ち寄せる違和の上
意味崩壊の前触れか
語意につながれたわたしの脳髄に
垂れ込める語彙が浸透してゆく

わたしはこの違和の上で待つ
わたしの正気を食らおうとする
意味の怪物を退治してくれる
ひとつの文体を


二〇一六年十一月二十日 「地下鉄御池駅の駅員さんにキョトンとされた」


烏丸御池の高木神経科医院に行って
睡眠誘導剤やら精神安定剤を処方してもらって
隣のビルの一階にあるみくら薬局で薬をもらったあと
いつもいく河原町のバルビル近くの焼き鳥屋にいくために
地下鉄御池駅から地下鉄東西線を使って
地下鉄三条に行こうと思って
地下鉄御池駅から切符を買って
改札を入ったんだけど
べつの改札から出てしまって
自動改札機がピーって鳴って
あれっと思って
べつの改札口から出たと自分では思ってなくて
駅員さんに「ここはどこですか?」って
きいたら
キョトンとされてしまって
「すいません、ぼく、病院から出たばかりで
 そこの神経科なんですけれど
 ここがどこかわからないんですけれど」って言ったら
「御池駅ですよ、どこに行かれるんですか?」
って訊かれて
「あ、すいません、三条なんです
 電車って、ここからじゃなかったんですよね」
「改札から改札に出られたんですよ」
ううううん。
たしかに頭がぼうっとしてた
ちょっと涙がにじんでしまった
55歳で
こんなんで生きてるって
とても恥ずかしいことやなって思った
でも
帰ってきたら
とてもうれしいメッセージをいただいていて
ぼくみたいな人間でも
見てくださってる方がおられるのだなって知って
また涙がにじんでしまった

洗濯が終わった
これから干して
たまねぎ切って
スライスにして
食べて
血糖値を下げます


二〇一六年十一月二十一日 「角の家の犬」


きょうは恋人とすれ違ってしまった

さて
どっちに取る?

この家の子

そんな言い方しなくてもいいじゃない
頭が痛いよ
ぼくが悪いの?
この家が悪いの?

ぼくの耳に
きみの言葉が咲いた

咲いたけど
咲いたから
散る

散るけど
散ったから
またいつか
違ったきみになって
咲くだろう

もっときれいな
もっとすてきな
きみは

こんな詩を
いや詩じゃないな
いっぱい
むかし書いてたような気がする
きょう
ふと
そんな時期のぼくに
もどったのかな

角の家の犬

後ろに自分の家の壁があるときは
とてもうるさく吠えるのに
公園の突き出た棒につながれたら
おとなしい


二〇一六年十一月二十二日 「狂気についての引用メモ」


同じ感情がずっと持続することがないように
自我も同じ状態がずっとつづくわけではない
感情が変化するように自我も変化するのだ
同じことを考えつづけるのは狂気だけだと
ショーペンハウアーだったかキルケゴールだったか
だれかが書いてたような気がする
むかしメモした記憶はあるのだけれど
メモを整理したときにそれを捨てたみたいで
だれだったかしっかりと憶えていない
狂気についての引用メモがいっさいなくなっている
これは自衛のために捨てたのかもしれない
そんな気持ちになったことが何度かあって
そのたびに本やメモがなくなっている
安定した精神状態がほしいけれど
そうなったらたぶんぼくはもう詩を書かない
書けないのだろうなあと思う


二〇一六年十一月二十三日 「シロシロとクロクロ」


天国に行きたいなあ
みかんの皮を乾かして漢方薬になるはず
もしだめだったら
東京ディズニー・ランドでもいいわ
千葉だけどね
シロクマ・クロクマ・シロクログマ
シロクログマって、パンダのこと?
ゲーテは、ひとりっきりで天国にいるよりは
みんなといっしょに地獄にいるほうがましだと言ってたけど
経験上、地獄はやっぱり地獄だわ
シロゴマ・クロゴマ・シロクロゴマ
えっ!
シロクロゴマって
そんなん
どこで売ってるの?
みんなといっしょにいても地獄だわ

いうか
みんなといると地獄だわ
ひとりでいても地獄だけど
みんなのこと
考えるとね
ディズニー・ランドでひとりっきりで
はしゃいで遊んでも
たしかに
つまらなさそう
みんなのこと
考えるとね
(はしゃいでへんけど)
シラユリ・クロユリ・シロクロユリ。
シロシロはユリで
シロクロやったら
ヘテロだわ
そろそろ睡眠薬と安定剤のんで寝まちゅ
プシュ


二〇一六年十一月二十四日 「立派な批評家」


明瞭に語られるべきものを曖昧に語るのが
おろかな批評家であり
曖昧であるものの輪郭を
読み手が自分のこころのなかに明確に描くことができるようにするのが
立派な批評家であると
わたしは思うのだが






して
立派に批評家であると
わたしは思うのだが
いかがなものであろうか


二〇一六年十一月二十五日 「桜の木の下には」


京大で印刷だった
キャンパスにある桜の木の下で
ちょっとした花見を
桜の木の下には
吉田くんと吉田くんたちが埋まっている
桜の木の下には
たくさんの吉田くんたちがうまっていて
手をつないで
お遊戯してた
ぼくたちは
吉田くんたちは桜の木のしたで
土のなかで盛り上がっていた
地面から
電気のコードをひいてきて
桜の木の下で
コタツに入って
プーカプカ
しめて
しめて
首に食い入るロープのきしむ音が
しめて
しめて
桜の木の下で
ぼくたちは
吉田くんたちはポテトチップを
むしゃむしゃ
むしゃむしゃ
桜の木の下で
ぼくたちは
吉田くんたちは
ぼくたちを見下ろしながら
ぎしぎしと
ぎしぎしと
ひしめきあっていた
この際


二〇一六年十一月二十六日 「セーターの行方」


きょうはぐでんぐでんに酔っ払って帰ってきました
いつも行く居酒屋で
作家の先生といっしょになって
3軒の梯子をしました
いつも行く居酒屋には
俳優の美木良介が女連れでいました
ぼくはカウンターにすわっていたけど
その後ろのテーブル席
ぼくの真後ろに坐っていて
作家の先生の奥さんがおっしゃるまで
気づかなかったのでした
オーラがないわ
という奥さんの言葉に
ぼくも「そうですね」と言いました
この居酒屋には
言語実験工房の荒木くんや湊さん
Dionysosの大谷くんともきたことがあって
料理のおいしいところです

奥さんが
セーターを先生に作られたのだけれど
大きすぎたみたいで
田中さんにあげるわ
とおっしゃったので
いただきますと言いました
先生との話で一番印象に残っているのは
「見落としたら終わりやで」
奥さんがそのあと
「タイミングがすべてよ」
でした。
いちご大福を持って
女優の黒木 瞳さんもくるという話だけれど
彼女にはまだ会ってないけれど
この居酒屋さんって
ふつうの焼き鳥屋さんなんだけど
半年くらい前のとき
アンドリューって名前だったかな
オーストラリアから来た
日系の
すっごいかわいい
20代半ばのカメラマンの青年に
ひざをすりすり
モーションをかけられたことがあって
なんだか
ぐにゃぐにゃ
むにむにむに~って
感じでした。
そんときは
ぼく
じつは恋人といっしょで
彼には
いい返事ができなかったのだけれど
こんど会ったら
ぼくもひざをすりすりして
チュってしちゃおうって思っています
ああ
薬が効いてきた
もう寝ます。
おやすみなさい
みんな
大好き!


二〇一六年十一月二十七日 「小説家の先生の奥さまのお話」


デザインの専門学校で
その学院の院長先生のお話で
いまもこころに残っている言葉があって
それは
ギョッとさせるものではなくて
ハッとさせるものをつくるべき
っていうものだという
ギョッとさせるものなんて簡単にできるわ
いくらでもつくれるわ
ハッとさせるものはむずかしいのよ
とのことでした
先生のためにつくられたセーターが
先生にはちょっと大きめだったので
田中さん
着てくれないかしら
からし色のセーターなんだけど
ええ
ありがとうございます
着させていただきます
あらそう
じゃあ
こんどお店に持っていっとくわね
預けておきますから着てちょうだいね
合わないと思ったら返してくださっていいのよ
いえいえ
着させていただきます
先生もお勤め人だったことがあるらしく
10年ほど広告会社でコピーを書いてらっしゃったそうで
そのときのお話をうかがっていて
ぼくがやめるときに
あれはバブルの時代でしたね
杉山登志というコピーライターがいましてね
資生堂のコマーシャルとか手がけてた人でね
その彼が自殺したことがショックでした
原因は不明でね
わたしがコピーライターをやめたのはそのすぐあとです
帰ってGoogleしました
ウィッキーに
「本名は、杉山 登志雄(すぎやま・としお)
 テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、
 国内外の賞を数多く受賞。
 天才の名を欲しいままにしたが、
 自らのキャリアの絶頂にあった1973年12月12日、
 東京都港区赤坂の自宅マンションで首を吊って自殺。
 享年37」
とあった
さらにGoogleで検索してたら
2007年の12月に
このひとのことを題材にしたテレビ番組をやってたらしくって
有名なひとだったのね
分野が違うと
ぜんぜん名前がわからない
はしご一軒目の居酒屋さんでのお話でした
ぼくが二度の自殺未遂の話をすると
奥さまが携帯の番号を書いてくださって
なにかのときには電話してちょうだい
と渡してくださったのですが
たぶん
しないだろうなあと思いながらも
はい
と言いながら
その電話番号に目を落として
書かれた紙を静かに受け取りました
そしたら先生が
わたしが死んだら
この人が追悼文を書いてくれますが
田中さんが亡くなったら
わたしが書きましょう
とおっしゃって
ぼくが
ええー
と言うと
奥さまが
わたしも書くわ
とおっしゃって
またまた
ええー

ぼくが言い
大声で笑うと
奥さまが
わたしの追悼文は
だれが書いてくれるのかしら
とおっしゃって
そこでぼくが
奥さまは死なれませんから
というと
そこでまた大笑いになって
(酔ってたら
 こんなことでも
 笑えるのよ)

そこでチェックされて
はしご二軒目の
きゅうり
というお店に向かったのでした

誰が変わらぬ愛など欲しがろう?

(このメモ
 奥さまが電話番号を書かれるときに
 ちらりと見てもらったんですけれど
 奥さまは
 変わらない愛が
 みんな欲しいんじゃないの
 と
 おっしゃって
 ぼくは
 首をかしげて
 そうでしょうか
 と
 にやっとして笑い返しました
 奥さまの目が
 どことなしか
 笑っているのに笑ってなかったのが妙に印象的でした
 笑) 


二〇一六年十一月二十八日 「gossamer くもの糸(草の葉にかかったり空中に浮遊している)」


なめくじ人間の夢を
きのうとおとついの
連続二日見ました
続き物の夢を見るなんて珍しい

乾いた皮膚にはくっつかない
そういう信念があった
夏なのに
冷たい夜だった
さっきまで雨が降っていたのかもしれない
でもいまは雲が切れていて
そこに大きくてまるい白い月がドーンとあって
その月の光が
路面の敷石にきらきらこぼれ落ちていた
事実
半透明のなめくじたちが
街のいたるところからにゅるにゅるじわぁーと湧き出して
そこらじゅうを這い進むあいだ
ぼくはその半透明のなめくじを観察した
ぼくは完全にかわいていたので一瞬触れても大丈夫だったのだ
なめくじたちは夜の街に
月の光を浴びてきれいに輝きながら
家々の壁や戸口に湧き出て
家から出てきた人間たち
歩いている人間たちに触れていったのだ
触れられた人間たちは
たとえ、その触れられた箇所が靴でも
そこから全体に
すうっと半透明になってしまって
なめくじ人間になっていったのだ
なぜなら、彼らはみんな多少とも濡れていたからなのだった
女性のなめくじ人間も少しいた
なぜかしらエプロンをした肉屋の女房だったり
ベイカリーショップの女将さんだったりした
なめくじ人間というのは
人間の大きさのなめくじなのだ
だから時間が経つにつれて
街じゅうはなめくじ人間たちが徘徊する
恐ろしい街になっていったのだ

ぼくはそれを観察していた
危ういところで
半透明のなめくじの体をかわして
逃れていたのだ

半透明になって徘徊するなめくじ人間たち
ぼくは夜の街で唯一の人間だった

街並みは小説や映画に出てくる
ロンドンの街並みだった

夢を見る前の日に
ロボット物のSFを読んだあとで
シャーロックホームズ物のパロディの本を読むことにしていたからかもしれない

なめくじが、どこからきたものかはわからないけれど
もう何十年も目にしていない生き物だ


二〇一六年十一月二十九日 「幽霊がいっぱい。」


マンションでは猫や犬を飼ってはいけないというので
猫や犬の幽霊を飼うひとが増えて
もうたいへん
だって、壁や閉めた窓を素通りして
やってくるのですもの
うちの死んだ祖父が
アルツでいろいろな部屋に行って
迷惑かけてることがあって
文句を言えないんだけど
隣の死んだ和幸ちゃんの幽霊はひどいわ。
どんなに遅くっても必ず起きてて
一晩じゅう
ほたえまくるんですもの
わたしが持ち帰りの仕事を夜中にやっていても
勝手に机の下からにゅ~って顔を出すし
うちの一番下の子の横に寝て
眠ってるうちの子の腕をさわりまくるし
それで
うちの子が夜泣きしちゃいだすし
ああ
もうこのマンション引っ越そうかしら
あれあれ
おじいちゃん
勝手に出歩いちゃダメでしょ
生きてるときでも怖がられてたのに
そんな死人のような顔をして
いや
死人なのかしら
幽霊って
死人なのかしら
わかんないわ
わかんないけど
出てかないでよ
せめてこの部屋から出てかないで~
ひぃ~
もういや


二〇一六年十一月三十日 「速度が誤る。」


買って来た微小嵐を
コップのなかに入れておいたら
仮死状態のジジイが勝手に散歩につれていきやがって
おのれ

バルザック
完全無欠の夜は調べたか
ああ
なにもかも
ぼくが人間をやめたせいで
頭のなかの鐘が鳴りっぱなし

興奮状態の皮膚が
ぴりぴり震えがとまらないのだっちゃ
よかったね
最高傑作
見事に化けて出てくる夜毎の金魚の幽霊が

人間やめますか
ぼくの箱庭
紅はこべ
驚いたふりをして
人間やめました
手には触れるな
速度が誤る
サン・テグジュペリ


二〇一六年十一月三十一日 「レンタル屋さんがつぶれたので、山ほどDVDもらってきました。」


さきに、若い子たちが
有名なものを持って行ったので
ぼくは、あまりもののなかから
ジャケットで
選んで、いただきました。
ラックとか
椅子とか
かごとかも
持って行っていいよというので
かごをいただきました。
ま、それで、DVDを運んだんだけどね。
でも、見るかなあ。
ぼくがもらったのは
サンプルが多くて
サンプルってなんなんだろうね。
何か忘れたけど
一枚手にとって見てたら
店員さんが
それ、掘り出し物ですよって
なんでって訊くと
まだレンタルしちゃいけないことになってますからね
だって。
ううううん。
そんなのわかんないけど
ぜったい、これ、B級じゃん
ってのが多くて
見たら、笑っちゃうかも。
でも、ほんとに怖かったら、やだな。
怖い系のジャケットのもの、たくさんもらったんだけど
怖いから、一人では見れないかも。

とぎれとぎれで見ました。
明日、はやいしね。
いろんなタイプのDVDだから
いろんな感性にさらされて
いい刺激になればいいんですけど。
ヒロくん
近くだったら
いっしょに見れたね。
あ、店員さん
「アダルトはいらないんですか?」
「SMとかこっちにありますけど」
だって。
アダルトはもらってません。
もらってもよかったのだけれど
どうせ見ないしね。

ぼくが帰ったのが
10時すぎでしたが
まだいっぱいありました。
アニメは興味なかったですけれど
知らないアニメがたくさん残っていました。
でも、もうこの時間だし
ラックも
椅子も
たぶん、ないでしょうね。
自宅のCDケースが傷んでるのがあるので
CDケースもらっておけばよかったかなあ。
でも、欲張ると
ロクでもないし
ラッキーだったんだから
これでいいんでしょうね。
ふと
古本を買いに
遠くまででかけたのです。
そしたら
若い子が
ここ、きょうで店じまいですから
これ
何枚でも持って帰っていいみたいですよ
って言ってくれて。
その子
ぼくがゆっくりジャケット見て選んでるのに興味を持ったらしく
みんな、がばっとかごごと持って帰るのに
珍しいですね。
近くにお住まいですか。
一人暮らしですか。
とか
笑顔で訊いてくるので
(魅力的な表情をした若者でした)
ちょっとドキドキしましたが
ときどき
ぼくのこと
不思議に思って興味を持ってくれる子がいるのですが
勘違いしてしまいます。
前に
日知庵で
24才だと言ってた
オーストラリア人のエリックにひざをぐいぐい押し付けられたときは
うれしかったけど
困りました。
恋人といっしょにいたので。

きょうの子も
明日はお仕事ですか
とか
早いんですか
とか訊いてきたので
あ、もう帰らなかや
って言って、逃げるようにして帰りました。
いま
ぼくには、大事な恋人がいますからね。
間違いがあっちゃ、いけません、笑。
あってもいいかなあ。
ま、人間のことだもの。
あってもいいかな。
でも、怖くて帰ってきちゃった。
うん。
ひさびさに
若い子から迫られました。
違うかな。
単に
かわったおっさんだから興味を示したのかな。
ま、いっか。

ああ、きょうは、バロウズ本もうれしかったし
DVDもうれしかった。
クスリが効いてきたみたい。
もう寝ます。
おやしゅみ~

エリック
かわいかったなあ。
ぼくも
恋人にわからないように
ひざでも、ぎゅっとつまんであげればよかったんだけど。
さすがに、ね。
恋人にばれちゃ、怖かったしね。

春の日のクマは好きですか?

きょう、もらったDVDです。
とても単純な物語だったけれど
主人公たちがひじょうに魅力的だったので
最後まで見れました。

詩も
同じかな。
内容がよければ、形式がださくてもいいのかも。

いや、逆に
キャシャーンのように
だれがやっても、設定があんなふうにすごかったら
すごい映画だっただろうからな。

詩も同じかな。
形式がすごかったら
内容なんて、どうでもよくってね。
両方、いいなんてことは
ほとんど奇跡!



自由詩 詩の日めくり 二〇一六年十一月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2021-06-27 14:54:26縦
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