私の人生らしきもの
幽霊
気分が優れない。まるで優れない。頭の中でどろどろの汚水がかき回されているようだ。吐きそう。なにかしら吐き出してしまいそう。
あれのせいだ。あれしかない。あれなんだ、私はつまらないことをしでかした。
今日はつまらないものを吸い込んだ。あぁつまらないものだ。ひどいものだ。あんなものはひどくつまらないものだ。筒状の紙の中にはつまらないものがいっぱいにつまっていた。しかし、その本性を見るまでは恋に似たようなものを感じていた。事実、私はわくわくしてしょうがなかった。
私がそれを手に入れたのはリラックスできると聞き及んでいたからだ。それ以外には無かったはずだ。私はそれにあまり良い印象などは持っていなかった。しかし、リラックスしたかったのだ。
私はそれの端にマッチの火を移した。するとそれはちりちりと燃えることを止めなかった。刻々と燃え尽きていくのを見ていた私は、妙に脅迫めいたものを感じて、襲うように咥え込んだ。そしておっかなびっくり吸い込んだのだ。
するとどうだ、苦い、まずい。あぁまずい。さらにまずい、そしてマズイ、挙げ句の果てには不味い!。なによりもまず不味い。目に染みて痛い。あぁ嫌な匂い。
ごめんなさい、期待を持っていた。ごめんなさい、期待、だめだった。私の持つ期待は失望と素早く交換された。そうしてお風呂場の洗面器にはぼろぼろと脆いものが崩れ落ちていた。
私は人間のようなものをし始めてから随分と時が経過して、呼吸が苦手になっているらしかった。それは深く考える時に呼吸が止まってしまう癖を言っている。知らずのうちに私の影では苦しみがすくすくと発育していて、次の瞬間、私は肩を叩かれる。私は仮死状態から覚めたように慄然として、次に胸を破裂させるほどの空気を求める。それが日に幾度もある。私の肺にはいつも不満足を強いている。しかし今日に至ってはとんでもない仕打ちをしてしまった。
私はあの不気味な呻き声のような煙を肺に招いてしまった。それは窒息死を遂げた幾万の人々が零した呻き声のようで、精神を病んだ奏者によるヴァイオリンの音色を思わせた。当然、それは光ある出口を求めた。私は堪らず咳き込んだ。そうしなければままならなかった。
私は、そしてさらに立っていることすらままならなくなっていた。私の見る世界は影を失ったようにぼんやりと白くて全てが融和しているようだった。私の存在は気を抜くと空気に溶け込んでしまうのではないかと思うほど希薄に感じていた。私は堪らずお風呂場の柱に縋りついていた。呼吸は泣き出しそうに乱れていた。そうして私はお風呂場の柱にしがみついて、ハリケーンのような目眩が通り過ぎるのを耐え忍ぶことしか出来ずにいた。これは久しぶりのことだった。このとき私は理性による束縛から解かれていた。これはちょっと嬉しかった。いや、もうちょっと嬉しかった。ふと見上げてみるとそこには先ほど私が吐き出した救われない万雷の呻き声が、神の住む天に向かって上昇している。だがそれらはすぐそこの天井に阻まれて虚しく右往左往するのみである。
私はそのような不愉快な時間を過ごして、とうとう体調がすこぶる悪い。それがいま現在である。気分が優れません。
私はあの煙を吸い込んだ時に不機嫌な大人に出会ったような気がしました。ある人は言います、そのうち慣れるよ、と。みんなそのうち打ち解けあったのでしょうか?そのうち良いところに気付いていった?最初感じた印象が真実ではなくて本当はもっと良いものだった?
いいえ、私はあの第一印象こそ本性だったと思います。いえ、思うというより、知っていたという得体の知れない確信に近い。それは夢の中でなぜかあらかじめ知っている予備知識のようなものに似た確信です。
私はあのようなつまらなく、不愉快なものを嗜好するようになる過程に大人の哀れな正体を見たような気がします。
大人はいつもどこか不機嫌です。
大人とは海水のような液体状の寄生生物です。子供たちは、いつの間にか無風の絶海に浮かぶヨットに1人取り残された遭難者です。しばらくして子供はちらちら燐光を放つ海水から脅迫めいた誘惑を聞きます。そしてとうとう半狂乱になり海水をがぶ飲みしだすのです。子供は死にます。すると子供の死体はむくっと立ち上がり、暗い海の底にある社会へと飛び込みます。そうです大人とは子供の死体を借りる寄生生物です。
私はそのような海水自殺に失敗しました。私は衰弱しきって、未だヨットの甲板に横たわる子供です。
大人はみんな哀れな自己肯定を持っているように思います。必要に迫られて設えた虚しい自己肯定。それが彼らの不機嫌です。
しかしここで私はなにを言いたいのか分からなくなりました。これまで私が言ったことは何もかも的外れな気もしてきました。これまでの人生で私は多くを定義してみましたが、私にとって都合の悪いことだけが的中していて、都合の良いことはことごとく的を外しているのかもしれません。
私はこの頃、人間とは架空の生き物ではないかと思うようにもなりました。私が教えられてきた人間とは、あまりに高潔で、潔白で、正しいものでした。私たちのうち誰か、誰でもいい、人間になれた者はいるのでしょうか?私はいるとは思えません。私たちのために、生き物図鑑には新しい1ページを追加するべきです。私たちには新しい名称が必要だと思います。
この形がいけなかったのです。私はたまたまこの人間の形で出来てしまっていただけで、これまでついつい人間をやってしまっていました。思想や価値観を持ったりもしてみましたがそんなものは誰か他人のものを取り込んでいたに過ぎません。私は周りを見渡して、この形に相応しい振る舞いを覚えて、恐る恐るそれらしく生きてきました。人間がするようなことを演じているだけに過ぎませんでした、しかしその多くは失敗しているようでした。それだけのものでした、私の人生らしきものは。
やはり私はとうとうなにを言いたいのか分かりません。最初は独り言でしたが、今ではあなたに語りかけています。あなたは誰ですか?あなたの顔は誰の顔にも似ている。