緑は濃く
山人
五月二十六日、伐採した木が跳ね、左腿を痛打した。骨折は免れたがひどい打撲に悩まされ、丸四日休んだ。その後復帰したが、膝は痛くて曲がらず、その不具合な足で、やらなければならない登山道作業や林業作業をこなし、今に至っている。皮膚下の血腫は次第に痛みがなくなり、しこりも目だたなくなってきていた。
六月十四日から週末まで、浜建設の手伝いで東京電力の鉄塔線下の刈払い作業を行った。斜度は三十度から六十度近くもある急傾斜地だ。立っていることすら難しいような斜面を灌木や草を刈り払っていく作業だ。同じ作業を五年前に手伝った経緯があったが、前回は比較的斜度の緩い現場だった。前回も補助ロープを垂らしながらチェーンソーで伐り下ろした箇所もあったが、難所は其処一ヵ所のみだった。今回はいたるところ、そんな箇所だらけだった。斜面上に立つことができない部分は、鉈やノコギリで手作業で伐った。
元請けの浜建設の人員は刈り払い機要員が一名と、現場代理人が一名。私たち森林組合従業員も六十台五名。元請けの刈り払い機要員一名は七十八才。現場代理人も七十三歳。高齢者集団が、挙って危険作業に従事している様はまさに滑稽で絵にすらなった。
私たち森林組合作業員の最高齢は、典夫氏六十九才、酒井氏六十九才、私を含む三名が六十三才である。その高齢者五名を浜建設の最高齢者七十八才の五十嵐氏は「お前さん方なんざ、まだ若い」と一蹴する。五十嵐氏が言うには、電力会社から福島県側も高齢者が多くなって山作業のやり手がなく、我々が駆り出されているのだとぼやく。俺らだって十分すぎるほど高齢者なんだがなと、豪快に笑い飛ばす。
二日目の岸壁の木の根っこにつかまりながらの手刈りによる作業。三日目の雷の鳴る大雨の中の作業。最終日の炎天下で意識が混濁してくるようなきつい労働。それが終わってから、家に着けば厨房仕事が待っていた。今月初めから始めた登山道整備と今回の送電線下作業で体中は悲鳴を上げていたが、やっと落ち着ける。あと数か所ほど、細かい登山道整備が残ってはいるが、今月末の山開きには何とか間に合うだろう。
春は某建設会社の県道の掃除の手伝い。この間も近くの建設会社の手伝い。そして今回は浜建設の手伝い。まさに老人派遣肉体労働請負人集団になってしまっているありさまだ。それはそれでまったくかまわないのだが、失われつつある体の機能を改善する特効薬はないものだろうか。まったく元気なのは、あいかわらずふてぶてしく濃くなる緑ばかりだ。