クリスマスプレゼント
板谷みきょう
ビルの立ち並ぶ大きな町の貧しい裏通りに、子どもが大好きで、子どもを前にしては、得にも損にもならない夢を、細い眼をしながら語る、おじいさんが住んでいました。
一日の働きによって、暮らしぶりが左右される程、貧しい生活でしたが、そのおじいさんは、陽が昇ると同じに起きて、駅前通りで靴磨きをして、日が暮れると共に仕事を終え、一日一日を細々と、けれど精一杯、暮らしておりました。
ところがある日、おじいさんは、重い病気になってしまったのです。身寄りのない独り暮らしだったので、近所の人が交代で世話をしていましたが、おじいさんの病気は目に見えて重くなっていったのでした。
それは、もしかしたら貧しかったらかも知れません。
でも、それは、どうすることもできないのです。
近所の貧しい人たちも、一生懸命看病しましたが、雪のちらつくクリスマスイブには、長くても後、一ヶ月の命と言われるまでに、病気は重くなってしまいました。
その日の晩、何も知らないおじいさんの所へ、神さまが来ておっしゃいました。
「お前は夢ばかりを追って生きてきたようだね。夢が叶わなかった代わりに一つだけ願いを叶えてあげよう。」
一瞬、ほんの一瞬、おじいさんは、「この病気を治して欲しい。」と、口にしようとしてふと考えました。
「自分を必要としている人が、この世の中に居るだろうか。」と…
何故なら、「誰も自分を必要としていないのなら、生きる値が無い。」と、思ったからです。
そう。もし一人でも自分を必要としている人が居るのならば、
その人の為に、神さまのご意志に背いてでも、生きようと思ったのです。
おじいさんは、ちょっと神さまを騙すような気がして、罪な気持ちになりましたが、
「明日のクリスマスの日に、私を愛してくれているすべての人々の胸に、私だけに見える薔薇の花を付けて下さい。」と言いました。
次の日の朝早くおじいさんは、そうっと床から抜け出して、誰にも解らないよう、頭から毛布を被って、町中をくまなく歩いてみました。
息が、たちまちあがってしまい、それでも、町中の誰かは、胸元に薔薇の花を付けていることを信じて、重い体を引きづるようにしながら、歩き続けました。
けれど、おじいさんの目に映る人たちの、誰ひとりの胸にも、薔薇の花を見つけ出すことができないのです。
おじいさんは、必死になって、誰か薔薇の花を胸に付けていないかと、路地裏や袋小路まで、一日中捜し歩きました。
しかし、あんなに優しくしてくれていた近所の人たちにも、そればかりか町中の誰一人の胸にも、薔薇の花を付けている人を見つけることができないのです。
悲嘆にくれやっとの思いで家に帰ってみると、おじいさんが居なくなったことを知って、心配した近所の人たちが集まってくれていました。
すっかりと疲れ切ったおじいさんの姿を見て、声を掛けてくれた人の胸にも、薔薇の花はありませんでした。
無理をして外を歩き回ったりしたからだと、集まった人たちがささやき合っている通りに、おじいさんの容態は酷く悪くなっていました。
日もとっぷりと暮れて、表通りも人通りが少なくなり、集まっていた人たちも一人減り、二人減り、ぽつりぽつりと家路に向かっていきました。
家の明かりが消えていく中で、おじいさんの部屋の灯りだけがこうこうと哀しくともっていました。残って居た数人の人たちに、駆け付けて出来る限りを尽くしたお医者さんが、「クリスマスの今夜が山です。」と告げました。
近所の人に見守られ、微かにクリスマスカロルが聞こえてくる中、おじいさんは、なんとなく、初めて、幸せを感じたような気がしました。
…が、残ってくれている人の胸元にも、薔薇の花を見ることはできませんでした。
お医者さんは、じっとおじいさんを見つめています。
ふと、おじいさんは、窓を開けてくれるよう頼みました。
もう、開いた窓からは、クリスマスカロルも流れ込むこともなく、ただ、小さな沢山の星が瞬いて見えるだけです。重たく湿った冷たい風が、頬を気持ち良く撫ぜていきました。まあるいお月さまは、屋根すれすれに、大きくみかん色に、かさを被って見えます。
そんな中、誰もが何も言わず、おじいさんを見つめていました。
おじいさんは、残ってくれた人たち一人一人に「ありがとう。」と言い
そして静かに目を瞑って、死が訪れるのを待ちました。
―――神さまがお迎えに参りました。
見守る人々の目に神さまの姿は見えません。
「町中を歩き回って探したようだが、誰の胸にも薔薇の花が無かったんだね。だからと云って、悲しむものでもありませんよ。」
神さまはおっしゃいました。
見守る人々の耳には、何も聞こえません。
けれど、おじいさんは、その声に、うっすらと目を開けたのでした。
それから、何にか呟き、涙を流し、静かに、そして安らかに、息を引き取りました。
見守る人々も、お医者さんも、おじいさんが何を呟いて、どうして涙を流し始めたのか、解りませんでした。
おじいさんを連れていく神さまの胸元に、大きな、本当に大きな、薔薇の花が有ったのです。
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