最近多摩川で
番田 

ずっと何年も同じ街に暮らしていると、思考のきっかけを失っていくというのがある。あそこにはアレがあり、そして、ここにはアレがあるというふうに、あらかじめすべてのことが予測できるからだ。時々、見知らぬ路地に入ってみるけれども、大した発見もなく、驚きもない。飛び込み営業をしていた頃の、世界が激変するような感覚をいつかまた味わってみたいとは思うけれども、難しいだろう…。最近は多摩川でシーバスのポイントを探っているけれど、川という場所はなかなか奥深い場所で、探りがいがあるのである。それに、海に比べて景色も美しくないというわけではないが、霊が出るという噂も聞くし、そのようなシルエットを時々見かけたりもするけれど、僕は勇んで出かけているのである。先日も電車を使って、川を登った。中学生の頃のように足や自転車を使って移動するのは本当に大変ではあるが、今はこのようにして楽な方法を使って場所を移動していると、子供心に魚を釣るということに青春を注いでいた頃の自分が懐かしく思い出されるのだった。


多摩川という川は美しい川ではあるが、そのあまり急ではない流れに命を落としてしまう人が多いのは不思議だった。時々、ズボンをまくってそこを渡っていく人も見かけるほど浅く、流れは急ではなかったが、日の落ちていく時の夕暮れの真っ赤に染まっていた水面は美しさを越えた、どこか毒々しい色合いのようにも見え、加えて暗やんだ周囲を見渡すとあたりは少し不気味に見えた。あまりにも暗く、街灯がないので、犯罪に巻き込まれるような可能性がありそうに思えたのである。




散文(批評随筆小説等) 最近多摩川で Copyright 番田  2021-06-07 01:15:34
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