夏とクジラの話
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彼女は言った。
「クジラは空を飛ぶ魚だよ」
その通りだと思った。
*
恋をしていたのか、と聞かれたら
そうだ、と答えるだろう
けれど、恋を引き算したところで
クジラは昔からずっと、空を飛んでいるのだから
魚にちがいなくて
彼女の声は分厚い空にとけて
あ
め
みたいに僕を包む
それがあまりに幸せで
世界に隠された真実
そのひとつを見つけたと思った
*
あのころ僕は
夏になればクジラが飛ぶんだと思っていた
本当はさかさまで
クジラが夏を運んで来たんだね
力いっぱい飛んで
空を泳いで
泳いで
夏を
*
あ
め
が降る
音楽にからだをあずけて
彼女は踊っている
もう逢えないのかな、と
哀しいきもちになったけれど
泣くことだって悪くないと思えた
聞こえないように
小さな声で
ありがとう、って言ったら
時間が止まった
*
彼女は言った。
「クジラは空を飛ぶ魚だよ」
ふたりで見上げた空は灰色で、何も見えなかった。
僕はいつまでも覚えているだろう。
いちどカチッと止まった時間、あのときを。
*
ふたりとも頭からつま先までずぶ濡れだった
クジラなんて、いないじゃないか!
って叫びそうになった
きっとあのとき僕らは
クジラのおなかの中にいて
空を飛んでいたんだ