ロスケ
TwoRivers

両祖母は国後島、樺太出身である。
現在国後島は北方領土としてロシア実効支配下にあり、
樺太は正式なロシア領土である。
戦時は幼少期ということもあり、両祖母の当時の記憶は非常に断片的である。
しかし、非常に鮮明でもある。

終戦間際の8月9日、ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄。
日本人にとっての終戦記念日は8月15日。
しかし、両祖母のふるさとは主にこの日以降に、ソ連軍に蹂躙されることとなった。

8月20日。霧深い樺太庁真岡町。
実質の戦闘を放棄した日本軍。
艦砲射撃に怯える祖母一家のもとに、乗り込んできたソ連兵。
母に突きつけられた銃口。兵士の笑み。
どうやって逃げたのか、記憶は全く残っていない。

9月12日。国後島は比較的穏やかにソ連軍に占拠されていた。
ソ連軍が島民の生活にも馴染み始めた頃、
祖母の小学校に乗り込んできた軍が、
教室に掲げられていた天皇の御真影を壁から引きはがし足蹴にした。

北海道への引揚船がソ連軍に撃墜される事件も発生していた。
(三船殉難事件 犠牲者1708人)

命からがら引揚船で脱出した両祖母の一家。
港に到着してからの記憶は、
「日本人だよ!日本人だよ!」
という日本軍の励ましの声。
その安心の涙を流したところで終着する。

時代は令和。
紋別沖での衝突、沈没事故。稚内沖での拿捕。
オホーツク海側の各都市では
ロシア船とのトラブルは未だに後を絶たない。

オホーツクの多くのロシア人漁師。
彼らは陰で「ロスケ」と呼ばれる。
もちろん差別用語であるのだが、歴史的な敵愾心や嫌悪感から、
未だにロシア人を受け入れることができない人々がいる。

世界各地の差別問題。
その根本に存在する恐怖心の払拭は容易でない。
宗教、国籍、人種、ジェンダー...
解決どころか、差別が差別を呼び恐怖は連鎖する。

80代半ばの両祖母は、
きっと二度とふるさとの地を踏むことはない。
「ロスケ」
途方にくれそうになるその言葉。
私にはこの過去と現実を引き受け、
伝えていくこと以外にできそうなことはない。


散文(批評随筆小説等) ロスケ Copyright TwoRivers 2021-05-30 10:05:50
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