光色のコークレッスン
コーリャ
もう何も書くことがなくなってしまった。と書いたら。書くことが始まる。書くことは終わらない。書くことは続いていく。たとえば、君が思いうかべるいちばん青い青よりもすこしだけ青い、青空を想像してほしい。その青空はどこまでも続いていく。そしてその青空を、よく見れば、すこしずつ移り変わる青色のグラデーションで出来ている。その青の始まりや、終わりのことを考えてほしい。なにがいったい終わるんだろう?そして、なにがいったい始まるんだろう?その青のいちばん青いところから、白が始まる。たとえば、君がおもいうかべるいちばんの白い白よりも、すこしだけ白い、砂浜を想像してほしい。その砂浜はどこまでも続いていく。そして、よく見れば、ガラスで出来ている。とても小さく細かいので、よく分からないが、いつかこなごなにしてしまった思い出の欠片で出来ている。その、君がおもいうかべるいちばん白い砂浜よりもすこし白い砂浜と、君がおもいうかべるいちばん青い青空よりもすこし青い青空は、すこしずつ移り変わる、思い出のグラデーションで出来ている。なにがいったい始まるんだろう。そして、なにがいったい終わるんだろう。光はどこから来るんだろう。思い出の光のグラデーションがある。そして、今、ここに降る光のグラデーションがある。それは、今という、未来に向かう、グラデーションだ。未来と、さっきの海浜を想像してみてほしい。その光景のグラデーションで、今が出来ている。(今、テレビでは、クリケットのプレビューが流れている。ボールが高くあがる。カウチ脇の窓から、飛行機が果てしなく飛びさる音。誰かのFacecook-Messengerの着信音。もう一本、ただの煙草を吸って、探偵のように、飛び出すつもりだ。)未来にも、降る光のグラデーションがあるように、そして、それもいつか思い出のグラデーションになるように。今は、今が、思い出と、未来の、グラデーションになるのを見つめている。それは煙。それは団欒で、ひとくくりの日常だ。そして、それは終わらずに続いていく。そのグラデーションを見つめれば、光の欠片で、始まらない今で、終わらない今で、もうそれからは何も書くことがなくなってしまうような、さっきの海浜からゆくりなく続いていく、光あふれる光景だ。