退屈の起源
六九郎



我々の抱える退屈はどこから来たのか
今日はそれをみんなと一緒に考えてみよう
ん?もう退屈?
はは、すまないね
でもそれこそ、退屈の正体だよね
そうやってじっと座って私の話を聞かされる
他のことはできない
そりゃ退屈だ
みなさんの意識の流れを私がせき止めちゃってる訳だからね
本来は小川のようにさらさらと自由に流れるべきみんなの意識をね

好きなところをほっつき歩いて
好きなものを眺めて
好きなにおいをかいで
日なたぼっこして
時には獲物を追いかける
そう、まるでネコ
たぶんネコは退屈を知らない

今日は粘土をいじって
明日は果実を探して
その次は罠を仕掛けて
その次はみんなで獲物を追いかけて
その次はお祭りの準備をして
まだ戦争をするほどの知恵もなく
退屈?は?なにそれ?
そんな生活が確かにあった

明日も会社
あさっても会社
その次も会社
いつかは課長になれるかも
判を押すだけの判で押したような毎日
戦争や革命はもうフィクションの中にしかなく
退屈?スマホとネットがあれば平気っしょw
明日はフォロワー何人増えるかな
そんな生活がいつまでも続く

人が定住と農耕を始めたとき
そこに退屈が生まれた
退屈は物語を生み
我々は自分たちの生みだした物語に飲み込まれた
もうそこから外へ逃れ出ることはできない
永遠に


自由詩 退屈の起源 Copyright 六九郎 2021-04-04 10:55:06
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