ひとひらの火
塔野夏子

ひとひらの火が
春の空虚を舞う

それは魚座の一番奥の扉から
あらわれたもの
ほほえんですぎてゆくかすかなもの

霧のなかで河を渡るひとよ
その美しい疲れに
解き放たれた花びらが
降りつもりますように

記憶の継ぎ目から
白い光の血が流れ
ひとひらの火が
春の空虚を舞う

菫 菫 菫
霧のなかで河を渡るひとは
ふと立ちどまって見つめる

置き去りにしてきた幾重もの眠り
そのほとりに
失われた舟たちの影

予感の継ぎ目から
青い虹の血が流れ
解き放たれた花びらが
祈りの中を旋廻する

それは魚座の一番奥の扉へと
歩み去るもの
涙をこぼしはしないあえかなもの

ひとひらの火が
春の虚空を舞い
(菫 菫 菫)
置き去りにしてきた幾重もの眠りが
やがて
霧の中で河を渡るひとを
しずかに抱きとめますように



自由詩 ひとひらの火 Copyright 塔野夏子 2021-04-03 15:32:56
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