メモ
はるな


物事が自分の外側で起こっている。いつもだ。
春が来て行ってしまう、しかしそれも私の外側にある。
インターネットもセックスも季節もナッツ・ケーキもだ。
半月前に流産していることがわかった。これはよくあることで私に責任はないと医師は言った、わたしは涙が出てくる目をおさえて聞いていた。自動で脚をひらかされる診察台、膣にさしこまれるなにものかの器具、白黒の液晶画面、世界が収縮している。黒い小さい錠剤を処方されたので飲んだ。
そうしてひどい痛みがやってきて、それだけはわたしのものだと思った。
ほんの小さい、つくられかけの胎盤がはがれおちるだけの痛みを耐えるために、わたしのからだは、夜中じゅうぎしぎしと軋み、伸び縮みし、時々気が遠くなった。嘘つき、と思った。
こんなふうに痛いのに、世界が外側にあるなんて絶対嘘だとおもった。何もかもがここで起きていると思った、引き裂くような痛みのあと、きゅうに内臓の全部がしんとして、それがおわった。終わったことがわかって脱力しているとまたにぶい痛みがやってきて、でももうそれは世界ではないと思った。血だらけの、私の外側にある、さまざまなもののなかで、疲れて少し眠った。

それから朝が来て、世界を洗い、お湯をつかった。
花瓶の水を変え、カーテンをひき、泣きたかったがやめた。
むすめを起こし、髪をとき、食卓を拭いてパンを焼く。そのとき物事はちゃんと外側にある。
冷蔵庫にはわたしから出たものが、何重にも袋を重ねて入っている。病院に持ってくるようにと指導されていたので。
人々が愛しあったり、罵り合ったりしている。無関心が秩序を形成している。あちこちで道路が掘り返されている。三月で、桜が咲いているのが見えた。

世界がみえているような気持がしている。
より多くの人が、穏やかであるといいと思う。


散文(批評随筆小説等) メモ Copyright はるな 2021-04-01 11:22:25
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