夕焼けの記憶
道草次郎

あの日、ぼくは死期の近い人のそばにいた。基督教系のホスピスへ出入りし、ただその人の横に座っていた。モルヒネのせいで朦朧としたその人にとっての今は、50年前の初夏の昼下がりだった。そして、ホスピスは何十年も前に潰れた近所のタバコ屋だった。

何度か、燃えるような夕焼けを一緒に見た。病室の窓際の花瓶には梅の切り枝があり、ほんのりとその蕾を膨らまし始めていた。

長い、とても長い揺れが段々と事の深刻さを仄めかし始めた時、その人はベットの柵を強く掴んでいた。ずっと、耐えるように、揺れがおさまるまで静かに目を瞑っていた。揺れが落ち着くと、ぼくがその人に大丈夫かと訊いた。その人は大丈夫だという代わりに、ぼくの事を真っ直ぐに見据え、こう言った。
「人間にはな、どうする事もできない時もある」
その人には若かりし頃、ソ連兵による敗残兵への暴虐行為を恐れ満州から命かながら本土へ引き揚げてきた過去がある。

その時のぼくは、働いた事もないひきこもりで、だか、それが故に、来る日も来る日もその人と色々な話をする機会を得ていた。

その人とは、ぼくの祖父である。
祖父の死に水を取ったのは他でもない、世界を、社会を、そして生活を恐れていたあの日のぼくであった。

安置室にて、水を含ませたガーゼを祖父の唇に持っていった時、既に、あのおそろしい破壊の映像があちこで流れていた。

祖父の葬儀がすんだ数日後、ぼくはかかりつけの内科へ行き、降圧剤と強めの安定剤を処方してもらった。そして、市の事務局へ電話をし、衝動的に登録した災害ボランティアが出来なくなった旨を伝えた。

自分は、祖父と見たあの夕焼けに値するような人間ではない。自分はそうあれなかった。そんな自分をぼくは掃き溜めに捨てたかった。また、そうした事を思う事さえ何か非常に腐っている事のようにさえ感じた。

あの、おそろしい津波が襲った映像をテレビで観た夜、ぼくは意味も分からずひどい鼻血を出した。その際、口に入った僅かの血の味は今でも覚えている。あの時、ぼくは、ほとんど取り乱してしまっていたと思う。鉄の味に感じたのは、生命へのどうしようもない、縋り。それだけだった。生きていたい、死にたくない。生きていられたら、それさえ保証されたら自分はどんな酷いことでも平気でするだろうという直感。それだけだった。

悲鳴と、その悲鳴が途絶える瞬間とがあった。
少女の叫びがあった。
生々しい、怒りの表情があった。
狼狽える視線の交わらなさがあった。
安逸の罪悪感が、そして罪悪感を感じてもなお抗し難い安逸への誘惑があった。
敗北があり、残った者はその敗北を口にする術を知らなかった。

何ものも終わってはいない。
灰となったものなど一つとして無いのだ。灰となりつつあるものだけが、まだ、この懐でもえている。小さく、小さく、燃え盛っている。今は、それのみが言える。だたそれのみが。

あの日、ぼくは死期の近い人のそばにいた。そして祖父の言葉に立ち竦むほか無かったのだ。


散文(批評随筆小説等) 夕焼けの記憶 Copyright 道草次郎 2021-03-11 18:21:07
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