3.3.メモ
道草次郎

我々に出来ることは待つこと以外にあるだろうか。
我々に出来ることは歩くこと以外にあるだろうか。
我々に出来ることは生きること以外にあるだろうか。



読む事の中に立ち込める不安の霧に透けて見える安定への希求と閉鎖性。それを想い、定めること。



ただ遠ざかることのみが正しい時もあるように、そのものの特性を弁え、そのものがなめらかに活動しうる限りの範疇に於いてそのものをそのものたらしめる凱歌を聴くこと。



自らの身の丈を測るのは理性ではない。それはいつでも不安だ。不安の力は絶大だ。不安を御することは理性にはできない。不安を御することは何者にも出来ない。ただ偶然のみがそれをいなす。そして偶然に忠実であることの根も、既にして偶然に拠っており、偶然の総体としてのみ意志は成立する。偶然と意志の違いは、だから、個と総体の違いである。個の集合は総体ではない。総体は個の融合である。意志とは、無数ある偶然事の多次元的結合にほかならない。人が意志する時、それは偶然の糸を手繰ることである。紡がれる理性という生地に、再び意志という謙虚さの染色を施すことが、偶然への節度ある態度なのかも知れない。



我々は、我々に出来ないことをもっと探そう。まだ陽が高いうちに。





散文(批評随筆小説等) 3.3.メモ Copyright 道草次郎 2021-03-03 09:39:11
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