春のうた
梅昆布茶
あるいはがらんどうの街に棲む
たまさかさびれた繁華街で遊ぶ
恋の歌は春の猫のように
かなしいやさしい歌だろう
愛は重すぎていつも栄養学的に
分析できないものなのでしょうね
失われたものを数えるだけでは生きてはゆけない
生まれた子供を数えるだけでも生きてはゆけない
僕はときおり何かに気づくのだが飲むと忘れてしまうので
詩論の蘊蓄にはぶ厚い単行本があるが読了していないのです
よくわからないのですがでも
会話は鳥のさえずりのように
意味よりも反応なのでしょうね
愛は地球を救わないだろうと思うのです
それが名辞にすぎないのだとしたならば