詩の日めくり 二〇一五年八月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一五年八月一日 「恋」


 恋については、それが間抜けな誤解から生じたものでも、「うつくしい誤解からはじまったのだ。」と言うべきである。


二〇一五年八月二日 「ディーズ・アイズ。」


 お酒を飲んでもいないのに、一日中、作品のことで頭を使っていたためだろうか、めまいがして、キッチンでこけて、ひじを角で擦って、すりむいて血が出てしまった。痛い。子どもみたいや。そいえば、子どものときは、しょっちゅうけがしてた。BGMは60年代ポップス。ゲス・フーとかとっても好き。


二〇一五年八月三日 「うんこのかわりに」


 うんこのかわりに、あんこと言ってみる。うんこのかわりに、いんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、えんこと言ってみる。うんこのかわりに、おんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、かんこと言ってみる。うんこのかわりに、きんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、くんこと言ってみる。うんこのかわりに、けんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、こんこと言ってみる。うんこのかわりに、さんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、しんこと言ってみる。うんこのかわりに、すんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、せんこと言ってみる。うんこのかわりに、そんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、たんこと言ってみる。うんこのかわりに、ちんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、つんこと言ってみる。うんこのかわりに、てんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、とんこと言ってみる。うんこのかわりに、なんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、にんこと言ってみる。うんこのかわりに、ぬんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、ねんこと言ってみる。うんこのかわりに、のんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、はんこと言ってみる。うんこのかわりに、ひんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、ふんこと言ってみる。うんこのかわりに、へんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、ほんこと言ってみる。うんこのかわりに、まんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、みんこと言ってみる。うんこのかわりに、むんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、めんこと言ってみる。うんこのかわりに、もんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、やんこと言ってみる。うんこのかわりに、ゆんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、よんこと言ってみる。うんこのかわりに、らんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、りんこと言ってみる。うんこのかわりに、るんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、れんこと言ってみる。うんこのかわりに、ろんこと言ってみる。
 うんこのかわりに、わんこと言ってみる。うんこのかわりに、んんこと言ってみる。


二〇一五年八月四日 「うんこするかわりに」


うんこするかわりに、あんこする。うんこするかわりに、いんこする。
うんこするかわりに、えんこする。うんこするかわりに、おんこする。
うんこするかわりに、かんこする。うんこするかわりに、きんこする。
うんこするかわりに、くんこする。うんこするかわりに、けんこする。
うんこするかわりに、こんこする。うんこするかわりに、さんこする。
うんこするかわりに、しんこする。うんこするかわりに、すんこする。
うんこするかわりに、せんこする。うんこするかわりに、そんこする。
うんこするかわりに、たんこする。うんこするかわりに、ちんこする。
うんこするかわりに、つんこする。うんこするかわりに、てんこする。
うんこするかわりに、とんこする。うんこするかわりに、なんこする。
うんこするかわりに、にんこする。うんこするかわりに、ぬんこする。
うんこするかわりに、ねんこする。うんこするかわりに、のんこする。
うんこするかわりに、はんこする。うんこするかわりに、ひんこする。
うんこするかわりに、ふんこする。うんこするかわりに、へんこする。
うんこするかわりに、ほんこする。うんこするかわりに、まんこする。
うんこするかわりに、みんこする。うんこするかわりに、むんこする。
うんこするかわりに、めんこする。うんこするかわりに、もんこする。
うんこするかわりに、やんこする。うんこするかわりに、ゆんこする。
うんこするかわりに、よんこする。うんこするかわりに、らんこする。
うんこするかわりに、りんこする。うんこするかわりに、るんこする。
うんこするかわりに、れんこする。うんこするかわりに、ろんこする。
うんこするかわりに、わんこする。うんこするかわりに、んんこする。


二〇一五年八月五日 「こん巻き。」


 血糖値が高くて、糖尿病が心配だったのでおしっこをしたあと、チンポコのさきっちょに残ってたおしっこを指につけてなめたけど、あまくなかった。よかった。きょう、きみやさんで隣でお酒を飲んでらっしゃった方が、ときどき彼女から、フェラチオされたときに、「あなた、甘いわよ。」と言われるらしい。笑いながら、そうおっしゃった。その方のお話に出てきた「こん巻き」というのが食べてみたい。スジ肉を昆布に巻いて、両端を竹の皮のひもで縛り、醤油で炊いたものだそうだ。醤油で味付けした煮汁で炊くだったかもしれない。砂糖やみりんを加えていない、甘さのないものだそうだ。お話の仕方から、それが被差別部落特有の食べ物であるようだった。ぼくは知らなかったので、だいたいのところを、昆布でニシンを巻いて甘辛く煮るふつうの昆布巻きを連想した。飲み屋さんでは、もっぱら聞き役で、詩の材料とならないかと思って、聞き耳を立てている。そだ。父親の夢が出てきたけれど、父親のことを作品に書き込もうと思っている。とても苦労したひとなのだ。もらい子といって、親に捨てられて養子に出された身の上だ。ぼくは父親が商売をはじめて成功したときの子だから、貧乏というものを知らないけれど、父親は貧しい家に引き取られたから、苦労したらしい。貧しい被差別部落の方の家に引き取られたらしい。ぼくとは血のつながりのない祖母だけが確実に被差別部落出身者であることがわかっているが、ぼくの実母も被差別部落出身者なので、因縁があるのだろう。ぼくには子どもがいないので、たくさんの遺伝子の連鎖が、ぼくで終わる。実母は精神病者でもあるので、ぼくで終わってよいのかもしれない。人生は恥辱と苦難の連続だもの。ときたま、楽しいときがあったり、うれしいこともあったり、よいこともあるけれど、それに、恥辱や苦難といったものにも意義はあるのだけれど。


二〇一五年八月六日 「夢は」


 オレンジ味のタバコを吸う夢を見た。ただそれだけの短い夢だった。また、べつの夢で、二本の長い棒を使って、池の中をひょいひょい移動する夢を見た。竹馬っていうのかな。でも、ものすごく長い棒で、身長の何倍もあって、ぐいんぐいんしなって、顔が水面にくっつきそうになるくらい曲がるんだよね。高校生くらいのぼくだった。身体が体重がないみたいに軽くって、その棒を使って、動きまくって、きれいな景色のなかを移動していた。ぼくの勤め先の学校がある田辺のような、田圃がいっぱいあるようなところだった。友だちとそんなふうにして大きな池のなかを遊びまくってた。ものすごくいい天気の日だった。お昼ご飯を食べに西院のブレッズ・プラスにBLTサンドイッチのランチセットを食べに行った。(中座)けさ見た夢からの知識。夢のなかでも味がわかるということ。五感のうち、嗅覚・味覚・触覚・視覚ははっきり存在していることがわかった。聴覚のことがいまだに謎だ。ぼくの夢の世界に音が存在していないのだ。夢のなかでも、言葉は存在するみたいなのだが、現実世界のように空気を伝って音が伝わるって感じじゃなく、テレパシーのような感じで伝わるのだ。聴覚以外の感覚は、現実世界に近いと思うのだけれど。まあ、いつかもっと明解な夢を見てみよう。夢は知だ、とヴァレリーは書いてたけれど、ぼくもよく詩に使った。さいきん、きょうのような現実感のある夢を見ていなかった。きょうの夢は楽しかった。動きがあった。ぼくが若かった。好きだった友だちも出てきた。田んぼのようなその大きな池で遊んだあと、いっしょに学校へ行く道を走った。なんて清々しい。


二〇一五年八月七日 「脱脂粉乳。」


 チャールズ・ストロスの『シンギュラリティ・スカイ』を読み終わった。これで二度目だけれど、また時間をおいて読み直したい小説だった。作品をつくっているあいだの休憩で読んでいたのだが、そのまま最後まで読んでしまった。終わりのほうで、「代用コーヒー」が出てくる。代用ミルクというものを知っているひとなんて、ぼくの世代が最後だと思う。ぼくが小学校1年生のときに給食で出た脱脂粉乳のことである。黄色いアルミの皿に、あたためた状態で出てきたんじゃなかったかな。まずくて飲めたものではなかったが、京都市では、その年で脱脂粉乳の給食での配給が終了したのだった。それから壜牛乳になり、数年後に正四面体の紙パック入り牛乳になったのだった。あと、栄養不足を補うために、小学校の4年くらいまで、肝油ドロップを配ってた。いまでいうところのグミのようなものかな。世代共通の思い出も書き残さなくては、と思ってる。


二〇一五年八月八日 「ひとつの頭のなかに、たくさんの時間や場所や出来事が同居している。」


 あさに考えたのだけれど、むかしの記憶が頭のなかにあるということは、さまざまな時間や場所や出来事が、ひとつの頭のなかにあって、その頭が移動しているということは、さまざまな時間や場所や出来事が、頭ごとそっくり移動しているということで、たくさんの人間が移動しているということは、たくさんの頭が移動しているということなので、たくさんの時間や場所や出来事が複雑に交錯しているということなのであると思ったのだった。友だちと二人で同じ部屋のなかにいるときにでも、異なるたくさんの時間や場所や出来事が詰まった頭が二つ存在しているのだ。人間の存在自体、なんだろうなって思う。時間や場所や出来事が詰まったもの。逆に、ひとつの時間や場所や出来事が数多くの人間を包含しているとも考えられるので、逆からの視点で、時間や場所や出来事を、また人間を考えてもおもしろいし、深く考えさせられる。


二〇一五年八月九日 「脳を飼う。」


 猫と脳の文字が似ているような気がする。で、脳のかわりに、頭蓋骨のなかに猫を入れて、猫のかわりに、脳を飼うことにした。脳は、みゃ~んとは鳴かないので、鳴かない脳なのだと思う。帰ってきたら、脳が机のうえで横になっていた。ぼくの姿を見ると、脳は、ゆっくりと机のうえを這ってきた。かわいい。さいきん、トマトが映画に出なくなった。若いころのトマトは、いつもブチブチに潰されては悲鳴をあげて、舞台のうえを転げまわっていた。かわいかった。ひさしぶりにトマトが出る映画を見てる。横にいた脳が、映画の舞台のうえにのぼっていった。トマトが脳に唾を吐きかけた。すべてがそろっているか。すべてがそろっているかどうか心配になってきたので、ペン入れにハサミを垂直に立てた。ハサミというのはやっかいなもので、しょっちゅう勝手に動き回る。気をつけていないと、玄関から出て他人の家に勝手に入っていってしまうのだ。そう思って、ハサミを垂直に立てたのだ。脳が膝元にすりよってきた。脳に名前をつけるのを忘れていた。ベンという名前をつけることにした。そこで、かわりに、ベンのことを脳と呼ぶことにした。ベンが脳に似ているというわけではない。脳がベンに似ているというわけでもない。むしろ舞台のうえでブチブチと潰れるトマトに似ているだろう。いや、垂直に立てたハサミにか。脳の行動半径は、頭蓋骨のなかの猫の行動半径よりも狭い。いちばん遠くにまで行くことができるのはハサミだけれど、ハサミは垂直に立てておけば動くことができない。時間的に遠くまで動くことのできるものはトマトだ。膝と膝のあいだに、たくさんのトマトを置いて、うえから両手で思い切り殴りつける。脳はミャ~ンとは鳴かない。右手の中指のさきで脳のひだに触れる。やわらかい。さわっていても、脳は陰茎のようには勃起しないようだ。いつまでも、やわらかい。しかし、トマトは、ずっと勃起しっぱなしだ。だから垂直にハサミを立てておかなければならないのだ。容量の少ないトマトは出血量も少ない。ベンに呼ばれて返事すると、ベンが起こっているのがわかった。少しの表情の変化でも、ぼくには、それが起こっているのか起こっていないのか、わかるのだ。現象としてのベンは、きわめて単純で、わかりやすいものなのだ。トマトやハサミよりもわかりやすい。脳もわかりやすいといえば、わかりやすい。しかし、なによりもわかりやすいのは、ぼくの頭蓋骨のなかにいる猫だ。ノブユキは、よくぼくの頭蓋骨のなかの猫と共謀して、ぼくにインチキのじゃんけんをしかけた。まあ、ぼくは笑って負けてやったけれど。横にいる脳のひだのあいだに指を深く差し込んで、ぐにゅぐにゅ回した。とても気持ちよい。ハサミのかわりに、脳をペン立てに垂直に立てた。ハサミで剪定すると、映画の舞台のうえに落ちて、ブチブチに潰れたトマトのように転げ回った。つぎに、ぼくはベンの指を剪定していった。泣いて許しを乞う姿がかわいい。ようやく安心して眠れるような気がした。横になろう。 おやすみ、グッジョブ!


二〇一五年八月十日 「帥」


 FBフレンドの画像に、「帥」ってコメントがあったので、自動翻訳機にかけると、「粋です」と出てきた。ぼくに会いに日本に遊びにくるねって書いてきた子の、かわいい顔画像に対するコメントだった。ぼくはたいてい、「可愛」「cute」「handsome」「good looking」って書く。


二〇一五年八月十一日 「2角形」


 ふと球面上の2角形が思い出された。目蓋に縁どられた、ぼくらの目は、2角形なのだった。


二〇一五年八月十二日 「ヒロくん。」


 ひさしぶりに、ヒロくんの写真を見返してた。クマのプーさんそっくりだった。と思っていたのだけれど、もっとかわいかったのだった。10代の自分の写真も見返してたけれど、どれも笑っていた。笑うようなことはなかったと思うのだけれど、カメラを向けられると、笑わなければならないと思って、笑っていたのだろう。さっき、コンビニに行く途中、雨が降ってきたので、180度回転して、自分の部屋に戻ってきた。食欲より、雨に濡れたくない気持ちの方が強かった。


二〇一五年八月十三日 「存在は自身の質量、体積、時間によって測られる。」


 はじまりに終わりがあって、終わりにはじまりがある。寝ているときに、数年前に亡くなった継母と冗談を言い合って、笑っていた。いつも陽気なひとだったけれど、死んでからも陽気なひとだ。これからお風呂に、それから塾に。塾に行くまえに、マクドナルドに行こう。(中座)同一性を保持した自我なるものは存在しない。同一性を保持した精神も存在しない。あえて言えるとすれば、存在するのは、虚構の自我であり、虚構の精神である。存在は自身の質量、体積、時間によって測られる。物質的な存在においてもだし、非物質的な存在においてもだ。


二〇一五年八月十四日 「立方体の六面がウサギだった。」


 ことしの1月には、コーヒー一杯で6時間もねばった、ぼくだった。ベローチェ。ことしの1月のなかば、たしか、15日か、16日に、ほんやら洞が焼失したのだった。


二〇一五年八月十五日 「出眠時幻覚」


 4回連続で、出眠時幻覚を見た。さいしょ目が覚めたら学生の下宿で3人いた。ここは東京だという。これだけ飲みましたよとボトルを見せられた。つぎに明治時代の通りにいた。着物をきたおじさん、おばさんが目のまえを、行き来してた。つぎが、自分のむかしいた下宿らしい。そんな場所にはいなかったが。さいごに自分のいまの部屋にいてパソコンを立ち上げようとしたら、パソコンの向こう側から覗く顔があって、自分だった。それで、ハッと思って、しっかり覚醒してパソコンのスイッチを入れた。なまなましい夢。途切れる間もなく。発狂したのかと思った。お酒飲み過ぎかな。ずっと二度寝、いや、五度寝くらいしてた。そしてずっと夢を見てたけど、これらの夢は、ツイッターに書こうという強い意志がなかったため、FBとかいろいろ見てたら忘れた。これからマクドナルドにアイス・コーヒーを飲みに行こう。


二〇一五年八月十六日 「わたしは他人のまなざしのなかにも、他人の息のなかにも存在する。」


 わたしはあらゆる時間と場所と出来事のなかに存在する。なぜなら、わたし自身があらゆる時間であり、場所であり、出来事であるからである。つまり、あらゆる時間や場所や出来事そのものが、わたしであるからである。


二〇一五年八月十七日 「卵」


彼は毎日、卵を産んでいる。彼はそのことを恥じている。


二〇一五年八月十八日 「On Bended Knee。」


きのう
ひさしぶりにジミーちゃんから電話。
半年ぶり?
2月に会ったのが最後くらいやと思うけど。
じゃあ、4ヶ月ぶりかなあ。
そのくらいちゃう?
元気?
なんとか。
それより、田中さん。
さいきん、変わったことない?
ええ?
べつに。
さいきん、ごにょごにょ。
はっ? なに?
さいきん、こびとをよく見かけるんやけど。
あっそう。

そういえば
ぼくのつぎの詩集
ホムンクルスのこびとが出てくるわ。

リゲル星人のまぶたから踊り出てくるこびとたちもいるし
偶然かな。
世のなかに偶然なんてことあると思う?
それは見方やな。
ぜんぶ偶然って言えるやろうし
ぜんぶ必然やったって言えるやろうし。

これ携帯からやから
あとで家からかけ直すわ。
ええ? いま、どこにいるの?
家の近所。
あっそう。
じゃあ、またあとで。
あとで。
って
ところが
あとで
ジミーちゃんから
電話はなくって
つぎの日のきょう、電話があって
きのう、電話が掛けられなかった理由が自分でもわからないという。
まあ、ぼくも、深く突っこんで訊く気もなかったので
訊かなかったけれど
ひさびさに友だちの元気な声が聞けてよかった。
ジミーちゃんとは15年以上の付き合いなのだけれど
ときどき
途切れる。
理由はべつにないらしいのだけれど
付き合いが途切れる前は
精神状態があまりよろしくないらしい。
それはジミーちゃんのほうね。
ぼくもよくないこともあるんやけど
チャン・ツィイーの出てる『女帝』という映画を見ているところやった。

10本のハミガキチューブをおすと
10本の柱がとび出した。
10本の柱で歯を磨いた。
ぼくを起こしてくれた。
ぼくを立たせてくれた。
ぼくを洗面所まで歩かせてくれた。
ぼくに歯ブラシを持たせてくれた。
ぼくにハミガキチューブを手にとらせてくれた。
ぼくにハミガキチューブをおさせてくれた。
ぼくに歯を磨かせてくれた。
ぼくにシャワーを浴びさせてくれた。
ぼくにからだを拭かせてくれた。
ぼくにパンツをはかせてくれた。
ぼくにオーデコロンをつけさせてくれた。
ぼくに靴下をはかせてくれた。
ぼくにポロシャツを着させてくれた。
ぼくに綿パンをはかせてくれた。
ぼくにリュックを持たせてくれた。
ぼくにドアを開けさせてくれた。
ぼくに仕事に行かせてくれた。
これを順番を入れ換えてみる。
ぼくにリュックを持たせてくれた。
ぼくにドアを開けさせてくれた。
ぼくにパンツをはかせてくれた。
ぼくを立たせてくれた。
ぼくに歯ブラシを持たせてくれた。
ぼくにポロシャツを着させてくれた。
ぼくにからだを拭かせてくれた。
ぼくにシャワーを浴びさせてくれた。
ぼくに靴下をはかせてくれた。
ぼくを起こしてくれた。
ぼくに歯を磨かせてくれた。
ぼくにハミガキチューブをおさせてくれた。
ぼくにハミガキチューブを手にとらせてくれた。
ぼくを洗面所まで歩かせてくれた。
火のなかで微笑むこびとの映像が思い浮かぶ。
火のなかで微笑むのはこびとじゃなくて
預言者のはずなんだけど。
いや、木歩とその友人
ぼくとエイジくんのはずなんやけど。
火のなかでこびとが微笑んでいる。
(2009年7月3日のメモ)

チャン
ツィ
イー
いったい、なにを怖れる必要があるのだろうか?
よぶせよ


二〇一五年八月十九日 「『詩人園』、開園いたします! 入場料無料です。」


まだ「一流」の分類の館内には、だれも入っていませんが
「二流」や「三流」の館内には、たくさんの詩人たちが入っております。
「二流」のところには、みなさまご存じの詩人たちがいるかもしれません。
「もう高齢なんと違う科」の詩人は、ほんとうに多いですね。
彼ら・彼女らのほとんどが生活類と政治類で
一部にアバンギャルドな芸術類がおります。
彼ら・彼女らは、この詩人園の半数近くを占めています。
ほんとうにもうだいぶん高齢なので、近日中に見に行かれないと、
二度と目にすることはできないかもしれませんよ。
えさは与えないでください。
ぼけている詩人もいます。
というか、ほとんどがボケです。
食事の記憶がなく、いくらでも食べる詩人もいますので。
しかし、「三流」館にいる、
「あんたらめちゃくちゃ傲慢なんと違う科」の詩人たちには注意してくださいね。
かつて有していた権威をかさにきて、訪れた観客の前で
自分たちの三流の詩を朗読して聞かせますから。
長時間聞かれますと、耳が腐りますので、十分にご注意ください。
石を投げつけるのは、かまいません。
それが、古代からのならわしです。
「三流」館の詩人たちは、むかしからぜんぜん進歩のない範疇に属しており
「どうにもこうにもならないやん科」が多くを占めていますが
「どうにもこうにもならないやん科」には、若い詩人たちもいますので、
お子さまの遊び相手にはよろしいかと思われます。
子供相手に、自分たちの詩を朗読して、自分たちが詩人であると思いこんでいますが
子供たちは、彼ら・彼女らを「バカなオトナ」として
ただ、バカにして笑っているだけなのですが、
子供たちは、笑うこと、それ自体楽しいので、笑っています。
また「コスプレ・見て見てわたしはかわいいんとちゃう科」や
「どうして奇異な振る舞いをしてしまうのか自分でもわからないのだけれど
だれかわたしに教えてくださらないかしらほんとにもうわたしはそもそもいったい
どこにいるの科」といった分類の詩人も多くいますので
詩人を見て、笑って楽しんで行こうと思われる方はここにおいでください。

注意点

詩人の前で、その詩人以外の詩の朗読はやめてください。
彼ら・彼女らは、他人の詩の朗読が一番嫌いなのです。
そんなことをすると、うんこをつかんで、観客に投げつける詩人もいますので
くれぐれも、彼らの前では、彼らのもの以外の詩は朗読しないでください。


二〇一五年八月二十日 「言葉探偵登場!」


では
あなたが第一発見者なのですね
この言葉が死んだ時間は言葉学者によると
昨夜の11時ごろだそうですが
そのころあなたはどこにいたのですか
ああ
あの詩人のブログのなかにいたのですか
でしたらアリバイはすぐに確認できますね
ちょっと待ってください
はい
確認しました
たしかにあなたはその時間に
この文章のなかに存在していませんでしたね

あなたが今朝この言葉を発見したいきさつを述べてください
どういった経路で
この言葉がこの文章のなかで死んでいるのを発見されたのかを


二〇一五年八月二十一日 「『言葉は見ていた。』 第一回」


まあ
あの殺された言葉って
わたし
よく知ってるわ
よくいっしょにある詩人の文章のなかに書き込まれたもの
え?
知らない?
ほら
あの朗読中にぶりぶり、うんこ垂れる詩人よ
ええ
その人よ
その詩人よ
だけど
どうして殺されてしまったのかしらね

あの言葉ね
詩人に悪気はなかったと思うのよ
きっと
何か理由があったのよ
え?
そうよ
じつは
わたし見ちゃったのよ
その詩人が
別の詩人の原稿を剽窃したところ
そこに
あの言葉がいたのよ
偶然ね
いえ
偶然なのかしら
よくわからないけれど

もうじき
コマーシャル


二〇一五年八月二十二日 「言葉平次!」


言葉平次!

言葉だったら
 未練が残る♪

シャキ
 シャキ

言葉を投げつけて
 怠惰な読者たちをやっつける

言葉平次!


二〇一五年八月二十三日 「言葉を飼う」


古い言葉がいらなくなったので、新しい言葉を買いました。
古い言葉がいらなくなったので捨てました
ぼくが生まれたときから使っていた言葉でしたが
最近は、ぼくの文章のどこにも現われなくなっていました
少し前からなんですけれど
使っていても、ぜんぜん効果がなくって
正直言って、いらない言葉でした
で、きょう仕事帰りに
言葉屋さんの前を通ったら
生まれたての新しい言葉と目が合ったのです
その言葉とはきっとうまくやっていける
そう思ったので
言葉屋さんに入って
その新しい言葉を買いました
帰ってきて
さっそく文章に使おうとしたのですが
その新しい言葉は
部屋に入るなり
そこらじゅうを駆け回って
ぜんぜんおとなしくしてくれませんでした
それで
文章を書くこともできず
その言葉を追いかけては捕まえ
追いかけては捕まえ
追いかけっこをして疲れ果てました
きょうは使えませんでしたが
こんど文章を書くときにはぜったい使おうと思っています
古い言葉はいらなくなったので捨てました
でもいったんは捨てましたが
クズ入れのなかから覗く古い言葉を見ていると
なんだかかわいそうになってしまって
いつかまた使うこともあるかもしれないと思って
クズ入れのなかから出してやりました


二〇一五年八月二十四日 「『詩人ダー!』新発売。」


『詩人ダー!』新発売。
あなたの味方です。
きっと、お役に立ちます。

いやなひとの家を訪問しなければならないとき
いやな上司と付き合わなければならないときなど
あなたがいっしょにいるのがいやなひとと
どうしてもいっしょにいなければならないとき
この「詩人ダー!」を、シューっと、ひと噴き、自分にかければ
あなたから離れなくても
相手があなたから離れていってくれます。
なぜなら
それまでのあなたのおしとやかで優しい性格が一変して
あつかましく凶暴になり
相手の状況などおかまいなしに
わけのわからない言葉をぷつぷつとつぷやいたり
突然叫び出したり
へんな節回しをつけて詩を朗読したりするからです。
「詩人ダー!」新発売
いっしょにいたくないひとがいるあなた
「詩人ダー!」は、あなたの味方です。
お役に立ちます。


二〇一五年八月二十五日 「『詩人キラー!』新発売。」 


『詩人キラー!』新発売。
いやな詩人が出る季節になってきましたね、プシューっとひと噴き。
これでいやな詩人を撃退できます。

この詩人は
ほかの詩人とほとんど付き合いがなかったので
ほかの詩人ほど頻繁に
ほかの詩人から詩集が送られてきたり
詩誌が送られてきたりはしなかったけれど
それでも週に何度か郵便箱に
日本中から詩人が送られてきた
詩人たちは郵便箱のなかで
身体を折り曲げて
この詩人が仕事から帰ってくるのを待っていた
ときには
何人もの詩人たちが
どうやって入ったのかわからないけれど
身体を折り曲げて
郵便箱のなかに入っていた
この詩人は
自分の疲れた身体といっしょに
送られてきたその何人もの詩人たちの身体を
部屋のなかに入れなければならなかった
詩人たちは口々に
自分たちの詩を
自分たちの論考を
自分たちのエッセーを
この詩人に聞かせるのだった
この詩人が食事をしているときにも
お風呂に入っているときにも
睡眠誘導剤を飲んで部屋の電灯のスイッチを消しても
詩人たちは自分たちの詩を論考をエッセーを
この詩人に聞かせるのだった
この詩人は電灯のスイッチを入れると
起き出して
洗面台の前に立った
この詩人は自分の目の下のくまをみて
洗面台の引き出しから
マスクと詩人キラーを取り出して
部屋にもどると
部屋のなかで朗読している詩人たちの顔に振り向けて
シューっとした
すると詩人たちの声が消えた
詩人たちは口をパクパクするだけで
音はまったく聞こえなくなった
この詩人はこれでようやく眠れるや
って思って床に就いた
でも
詩人たちの姿が消えたわけではなかったので
やっぱり眠れなかった
新しいやつ買おうっと
こんどのやつは詩人の姿も消えるんだっけ
そう思ってこの詩人は
きょうも眠れぬ一夜を過ごすのであった
じゃんじゃん


二〇一五年八月二十六日 「詩人ホイホイ。」


詩人ホイホイを組み立てて
部屋の隅に置いておいたら
本物の詩人がいっぱい入ってた

本物の詩人は
死んでも死なないから
どの詩人もみな
とっても元気だった

いつか自分も
だれかが仕掛けた
詩人ホイホイに捕まりたいなあ
なんて
詩人も思っていたのであった


二〇一五年八月二十七日 「『言葉キラー!』新発売。」


『言葉キラー!』新発売。
いやな言葉が出る季節になってきましたね
シュっと ひと噴きで
いやな言葉を撃退します

詩人は夏が一番きらいだった
夏は詩人が一番嫌いな季節だった
考えたくなくても
つぎからつぎに思い出が言葉となって
詩人の頭のなかに生まれてくるからだった
思い出したくなかった思い出が
詩人を苦しめていた
詩人は「言葉キラー!」を買ってきた
ちょっと落ち着いて考えたいことがあるんだ
詩人はそうつぶやいて
部屋中に「言葉キラー!」を振り撒いた
「言葉キラー!」はシューシュー
勢いよく噴き出した
噴き出させすぎたのか
詩人はゲホゲホしながら
窓を開けた
すると
また思い出したくない言葉が
窓の外から
わっと部屋のなかに入ってきた
詩人はあわてて窓を閉めると
詩人は「言葉キラー!」を
下に向けて
軽く振り撒いた
これで今晩はゆっくり眠れるかな
などと思ったのだけれど
詩人は用心のために
睡眠誘導剤を飲んで床に就いたのであった
じゃんじゃん


二〇一五年八月二十八日 「逃げ出した言葉たち。」


もう好きにすれば
詩人は言葉たちに一瞥をくれた
逃げ出した言葉たちは
詩人がもう自分たちを使わないことを知って
詩人の枕元にあつまって
手に手を取り合って
輪になって
踊っていたのであった
らんら
らんら
ら~
るんる
るんる
る~
らんら
らんら
ら~
るんる
るんる
る~
って
逃げ出した言葉たちは
輪になって踊っていたのであった
詩人は
泣きそうな顔になって
もう寝る
と言って
睡眠誘導剤を飲んで
電灯を消して布団をかぶったのであった
じゃんじゃん


二〇一五年八月二十九日 「逃げ出した言葉を発見!」


偶然に逃げ出した言葉が見つかったのだけれど
どうしてもあきらめきれずに
逃げ出した言葉をさがして
言葉ホイホイまで仕掛けていたのだけれど
詩人は熱しやすくて冷めやすい性格だったし
それに
詩人の頭には
つぎつぎと詩の構想が浮かんでいたので
いつのまにか
逃げ出した言葉のことなど忘れてしまって
言葉ホイホイに捕まった言葉を使って
新しい詩をつくっていた
だから
寝る前に掛け布団を上げたときに
シーツの真ん中に
偶然に逃げ出した言葉を見つけても
もうその言葉を使って
どんな詩をつくるつもりだったのかも
忘れてしまっていたのであった
じゃんじゃん


二〇一五年八月三十日 「言葉ホイホイ。」


詩人は
逃げ出した言葉を
一網打尽にしようとして
言葉ホイホイを買ってきて組み立てた
詩人はそれを
言葉がよく出てくるような
本棚や机の上
枕元に置いていった

何日かして
詩人は言葉ホイホイを見たが
どの言葉ホイホイにも
逃げ出した言葉は捕まっていなかった

言葉ホイホイをあけてみて
詩人はいまさらながら
自分の語彙の少なさに驚くとともに
深い憂鬱にとらわれたのであった
じゃんじゃん


二〇一五年八月三十一日 「言葉の逃亡防止策。」


詩人はスケッチブックをめくると
新しいページの上に
両面テープを全面に貼り付けた
これで言葉が勝手に動けなくなるだろうと思ったからだった
これまでも何度も言葉には逃げられた経験があるのだった
そのたびに詩人はくやしい思いをしてきたのであった
詩人は床の上にいくつかの言葉を並べて
その順番にスケッチブックの上に置いていった
ほとんどの言葉は置かれた場所に貼り付いていたのだけれど
ひとつだけ
置かれた場所が気に入らないのか
どうにかして置かれた場所から離れようとしてもがいていた
詩人は「動くなよ」とつぶやいて
その言葉の端々をおさえて
しっかりと両面テープに貼り付けた
それでもその言葉は
詩人がトイレに行っているあいだに
なんとかしてその貼り付けられた場所から逃げ出したのであった
詩人はトイレからもどってくると
いなくなった言葉をさがした
部屋の隅に置いてある本をどけたり
鞄のなかを見たり
ファイルのメモのなかに隠れていないか
本棚に置いてある本や
ルーズリーフ・ノートをペラペラとめくったりして
はては
CDラックからCDを一枚一枚取り出して
CDの後ろに隠れていないかさがしたり
洗濯物を一枚一枚ひろげたりして
一生懸命さがしたが
逃げ出した言葉はどこにもいなかった
こんなときには「言葉探偵」に頼めばいいんだけど
詩人には「言葉探偵」を雇うお金がなかった
それに「言葉探偵」のところに行ったって
その言葉をさがしているあいだ
いつのまにか
詩人は
その言葉がどんな音をしていたのか
その意味合いやニュアンスがどんなものであったのか
すっかり忘れていたのであった
詩人は
おもむろにスケッチブックから
両面テープを貼り付けたページを破りとって
くしゃくしゃと丸めると
クズ入れのなかに投げ入れた
ああもういやいや
こんどは
両面テープの上に貼り付けたら
その上からセロテープで固定しよう
っと
詩人は
そう思いながら
つくりそこなった作品のことを
いつまでも
ぐずぐずと
ああもったいなかった
もったいなかった
と思いつづけていたのであった
じゃんじゃん


自由詩 詩の日めくり 二〇一五年八月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2021-02-27 05:34:52
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