一筆
妻咲邦香
色の無い景色、風の無い景色が嫌いだった
息を潜めて雨宿りする軒下
一番自分に近い言葉が訪れるひと時
生まれた場所から離れ滴り落ちていく滴を見送り
その向こう側にぼんやりと移ろう情景が
私との間合いを計りながら対峙しお互いを語る
あちら様はなんと誇らしげで、背筋も伸ばして姿勢も良く
私にはまだ何色もなく風も吹かない
それなのに滴とそれに付随する冷たさと
さらにその感触を掠め取ろうとする皮膚の間で
傘を差せないでいる
折れた紙の端
拝啓
一先ず筆を置きなさい
私は助けられたかったのかもしれない
一筋の滑らかな虫となって生命を吐き出すその姿が
曖昧な自意識から解き放たれ、墜ちるところまで堕ちて
だから旅に出るんです、この筆を手に
今の私を綴るのに相応しい一枚の葉を大海から掬い戻すため
すべからく空蝉の申し出を受け
その姿を借りて歌の無い、音の無い
脈はあっても血も骨も肉も全てその因果を伏せたままで
まだかさぶたに鈍い痛みの浮き出る
まずは手始めに水平に夕刻をすっと引いたら
滲むインクの流域
じんわりと拡がるその幅で漕いで行く舟と
情緒の波と
啓上
「またいずれお会いしましたね」