一筆
妻咲邦香

色の無い景色、風の無い景色が嫌いだった
息を潜めて雨宿りする軒下
一番自分に近い言葉が訪れるひと時
生まれた場所から離れ滴り落ちていく滴を見送り
その向こう側にぼんやりと移ろう情景が
私との間合いを計りながら対峙しお互いを語る
あちら様はなんと誇らしげで、背筋も伸ばして姿勢も良く
私にはまだ何色もなく風も吹かない
それなのに滴とそれに付随する冷たさと
さらにその感触を掠め取ろうとする皮膚の間で
傘を差せないでいる

折れた紙の端
拝啓
一先ず筆を置きなさい

私は助けられたかったのかもしれない
一筋の滑らかな虫となって生命を吐き出すその姿が
曖昧な自意識から解き放たれ、墜ちるところまで堕ちて
だから旅に出るんです、この筆を手に

今の私を綴るのに相応しい一枚の葉を大海から掬い戻すため
すべからく空蝉の申し出を受け
その姿を借りて歌の無い、音の無い
脈はあっても血も骨も肉も全てその因果を伏せたままで
まだかさぶたに鈍い痛みの浮き出る
まずは手始めに水平に夕刻をすっと引いたら
滲むインクの流域
じんわりと拡がるその幅で漕いで行く舟と
情緒の波と
啓上

「またいずれお会いしましたね」


自由詩 一筆 Copyright 妻咲邦香 2021-02-23 01:22:04
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