スナフキン
妻咲邦香

訪れたのは君に会うためじゃない
そもそも君は此処にはいない
谷の翌檜が風邪を引いたので
薬を届けに行くところだ

足のない風が五線譜をくすぐり
君はひと振りの枯れ枝
弦に乗せた指が踊り始めると
歌は胞子となって宙へと立ち昇る
それは現人をも奮い立たせ
朽ちた根さえも蘇らせる
剣を眠らせ精霊たちは聞き耳を立てる
苔むした礎、絡まる蔦の行く先に
昔話の続きが停泊している

君は今しがた、あっちの山にいた
いつもの楽器が今日は違うようだ
君は本当に君なのか?
今日の君は誰なのか?
白む空、またひとり谷を後にする
海を目指し、若き鱗が月光を吸い込む
いつの世も変わらぬ光景
誰に知られるともなく、見送る者もおらず
目覚めたばかりの番人が
今日最初の仕事に手を染める

切り株の上
枯れ枝のような帽子だけが残された
子供らは足の生えた風になって
君の姿を探し戯れる
それは誰にも止められない
この谷の仕来たりであった


自由詩 スナフキン Copyright 妻咲邦香 2021-02-18 22:22:35
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