藪椿イデア
あらい

私たちが雪原におちた明い椿を
やわらかなときに戻した時に

  「あゝ 儚くも春の息吹」
生まれてしまった意義も値打ちも きっと
流された視界の端で 出逢うことであった。
かの君や さの方の 肩口に擦れた 触りだけの
    陰陽の体裁を ひそか 潤わせる
縦彩も横色も紡がれない 薄明の絣り
ここであったというだけの、ものに成り立ち

   「没する、今」
滂沱の川面に遮る、
我々の歳月は確かに みな同然育んで来たもの
   この涙雨。
よすがの境界線を跨ぐ、
草臥れた男は腹這う、
そして従うは天を仰ぐ。
しかし なお
首をすげ替えようとわずかにも泳がせていた。

                「その隻腕」
何処へも届かず、にやと解かれた
口際から黄ばんだヤニと嘆息を
          しなだれさせてもまだ
やんわりと無奏する。これらすべて

  「雄弁下劣の嘲笑」
 ぃぃから易々から等と ぶつくさ
あれは不遜にも時を諮るのだと からがら
しわがれて ままとわたしと のしかかり
知ったような口を利く。
天地鳴動の憐れ

     「疾走」
くんずほぐれつ。
白鷺の空から塩梅酔いばかりの、
春の宴の席で 酔いとはばかり、

         「私」は
泡を繰ったよう、そそくさ雲隠れ命を繋ぎたい。
   はぐらかそうと必死に流れに逆らい
     ばたつかせた、ハネもない 背を
地に足をつけたままのサナギである。人と思えば
 イカれていて羽化したてのみどりご、と

         知れば 「濡れ絖る。」
 なんてことも無い、
さて如何様。と、気がふれてしまうとは許し難く。
   しかも
免れなくては
成らないとは、嘗てから常々言い聞かされて
いた
 と、言うのに
躰は従順にも私自身を
聞き入れようと息を殺していたらしく。

遇ったばかりのウザったい小バエが曝された視野を
しばたかせるあたり。
この喉を潰して嘶き亘る永久とし、茨と頂かれた者共の
従者の烈、
螺旋のかいなで昇り詰める。萌えるような花々に
口惜しくも、華々しく
その腹充ちて散らかる。
総てをおとしめて、由々しきと、はじまろうとして。

 これはなにもかもおわったあとの杯でしか有り得ない。
   ひとつまみの灰をそそいで、「拾《ジツ》とみる」

                    「金切り声」
そして割れ鐘が業を煮やす。私が、胚に変える
         その時を 分かる気がした。
そのような万華鏡の疑四季に浮き彫りにされ
     薄ら化粧
施された土気色の夢、
     白妙の結晶が虜と愛した、これが
     しろがねの幻に狂い咲くようだ。

僅かばかり掻き毟りて身と懐きて、そうして偲ぐ。


自由詩 藪椿イデア Copyright あらい 2021-02-17 21:47:54
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