にごり水もみず
道草次郎
「蝿」
打ち沈んだ脳梁の遺跡群に一匹の蝿が迷い込む
神経質な迷路は死相を
その顔にふたたび浮かび上がらせる
魘されたアルトーの夢のように朝が来て
朝はまだ夜を殺しきれない
閉ざされたカーテンを切り刻むと
論理的な斜光が差し込み
月賦のあることと
生活のおもしがあからさまになる
みんな蔵書はもやせばいいのだ
一つのこんなにも増長した意識体を構成するため
宇宙はここまでになったとしたら
宇宙のしていることはまるで露悪そのもの
そう、露悪そのもの露悪そのもの露悪そのもの
何度でもいってやろう
この軍手はもうすっかり泥もみずもふくんでぐちゃぐちゃだもの
このうえまたそうしても一体何変わることあるだろう
さてどこへむかうのか
さてどこへむかおうとする、このうたよ
お前はなにを見失いなにを付け加えたか
このようなこともう二十年はしているのだ
このようなことはこの先も続くのか
ぼくの書くものは
ことごとく腐臭にみちている
そして、ことごとくゆるしを乞うている
こうしたものに始末を付けると
そのものはしぬはずだなあ
しかししんだところで何もどうにもならない
なんでか?
そんなことしらない
なにかになにかの意味があるなんて
いったいそんなこと本気で誰が思うというのか
ごめんなさい、
ぼくはやっぱり理性をかいていて
それにあまえて
君のとろこへいい香りの野の花をおくれそうにない
ごめん。声を埋葬する。
「屍体」
すでに飽和しそうな朝に溺れかかり
蒼空を顎でおすように必死で息をつぐ
オナガが来て庭のハナミズキで遊んでいる
じぶんはオナガのせかいの住人なのに
活人画風な挙動で立って歯を磨くこともできない
平らな脳のとおい地平のうえの一朶の雲のように
ぼくは酸素することも忘れ打ち寄せてしまう
このようなものの行き着く末を生活音に聴くが
世界の律動とともにそれがあるのは感じられない
だれも屍体には興味が無い
しかしそれを責める気にもなれない
無数にちらばったパズルをもう一度組み直し
慎重によくないものを除いたら
きっと出来上がったものはすでにぼくじゃない
ぼくは自分と上手く付き合うのがへただ
ただそれだけのことを言うのに
こうやって大事な何かさえを砕いてしまう
どうすればいいんだろう
ぼくは救われたいのではなく
ただ腹がへったので飯を食う餓鬼だ
いきていることはしばしば平気な顔の仮面であるから
倫理の栞をぬくとそれはたちまち蒸発してしまう
この言葉の羅列が叩き売れるなら
ぼくは喜んでそれをうるだろう
骨までしゃぶってしまうかもしれない
なんの骨だったか
そんなこと見向きもせずに
「海」
小石を投げる。
すると一つの波紋が外側へ向け拡がって行く。
波紋の円周はどんどん大きくなって行くので、大きくなりすぎて掻き消えてしまう前に様々なものと出逢わなければならない。たとえば難民を載せた輸送船、バンドウイルカのダークブルーの背鰭、偶然深海から迷い込んできた息も絶え絶えのシーラカンス、アマチュアサーファー、海亀、海上都市などに。
新たな波紋はまた別の出逢いを求めふたたび外縁への旅路につく。
波紋の生成と忘却とが交互に目まぐるしく入れ替わりを経験する。そこには無限数とも思える動物性プランクトンの脳に発火する微弱電流、 水素原子の酸素原子とが結合する間隙に彷徨う電子、ホオジロザメの残忍な鋸歯、水上ジェットスキーの壮大な飛沫、風を切る帆船の眩しさなどがある。
その水溜まりのことを「海」などと呼び、しばしば人は何事かを偲んでいる。