風の歌を耳に
道草次郎

あるものがそのものの底をいっかい弾き、とびあがりじぶんや何者かのもとへ訪ねてくることをかんがえていましたが、それはちがったかんがえでした。だってあらゆるのものが、いったんそのものの底を弾いた歌そのものだからです。

ふぶくと、ほんとうに無数の雪片です。それら一つひとつのひとひらのよって立つところの淵を撫でれば、これはたまらなく無私な、励起し、または滅する歌とみえます。

月見草という花もそうです。あの薄黄色なはなびらのいろのそうなってきた歴史や想いは、あれは何かであることの軛をすっかり忘れたつゆ霜みたく透明です。西方へ向き、夕焼け小焼けのしらべ以外を知らないばかりか、泪のあつまった苫屋や古井戸の暗ささえそれは照らします。手折られたら手折った手をも彩り、虫とだって喜んでわらって暮らすでしょう。

とてもちいさな時わたしたちは、おおきなもののおおきさを小さくしてしまいます。ぎゃくに、とてもおおきな時わたしたちは、ちいさなもののちいささを繋ぎとめる宝玉になれます。

地球はたちがれの樹立。砕けた月の破片でもって切った小指からしたたった血は、たしかにひとつの感受をもたらしはするでしょう。けれども、やっぱりおおきな腕で四つ葉のクロォバを摘む巨人となりたい。そのきもちの本当は、これから起こる一々すべての穂波と歩幅を合わせる潮風に、聴くこととしましょう。


自由詩 風の歌を耳に Copyright 道草次郎 2021-02-04 15:34:31
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