人生最大の闇 #2
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人ってどんなときに自尊心が危うくなると思う?

「本来ならできることができなくなったとき」
「恥ずかしいとき」他にもあるよね。例えば、「もう幼い子供じゃないのにおもらしをしてしまったとき」とか。つまりは、そういうことがあった。排せつに、トラブルを抱えていたのだ。

(できれば、美しく創作の形で昇華したいけれど、見るに耐えない人とかは閉じてね、読んでくれてありがとう)

過敏性腸症候群というのだが、授業中にガスがとまらなくなった。実は言えないだけで、こういったトラブルを抱えている人、困っている人は多くいるし、QOLという人生の質が低下する深刻な病なのだ。もちろん、私も誰にも正直に言えなかったのだが、なにより、それが自尊心を崩すことに大きく関わっていたからだ。勇気がいることだった。次第に後ろの席の人や周りの人ににおいや音を立てないように気をつかったり、少し腰を曲げて猫背にするようになった。しかしそうすると、余計に周囲の人に気を配るのに緊張して、唾液の分泌が止まらなくて、呑気症といったものにも学校生活で悩まされていた。が、一番辛かったのは、自身の体調不良や痛みもそうだが、おならをすることで、後ろの席にいる(男女交互に座っていたので)男の子が、授業中ずっと鼻をすすっていることだった。こればかりはどうしようもなかった。謝ったとしてもやめられないのだから、災難でしかない。それは最悪だと思って、なんとか体勢変えたりすることしかできなかった。ただただ、彼らの学校生活も壊してしまったようで、申し訳なかった。

「ガスメティックパンツ」というものを購入したことがある。

ガスに悩む人が多い昨今で、「そのパンツをはけば、空気の通りや布の仕組みで、ガスの匂いがなくなるよ!」といったことなのだ。ちなみに、10,000円する。当時小学5年生で、ネット回線、ゲーム機やスマホは持たされていたので全部自分で調べた。本当に買いたいくらい切羽詰つまっていて、手立てがなかったのもあるが、さすがに母に伝えなければ、出資を頼まなければならないので、それを伝えることによって、母の反応が変わるのではないか、本当のトラブルに気づいて心理的なサポートや、身体的な料理などの協力や変化が訪れるのではないか、と思った。物が欲しいのではなくて、密接な関わりあいが欲しかった。

恥ずかしさがあったから、商品の話をするのにも勇気が必要だった。しかし、食生活を変える方向にはならなかった。(そして以後もアプローチせど変わることはなかった)正直言ってほんと辛かった。家は、問題を根本治療せず、お金や物で解決するのを助長するところだった。モラハラ母と、そんな母から金を巻き上げる父という両親との病んだ生活で、安心や信頼や身の安全がなく、それがあったとしても、恥ずかしくて話をするので精いっぱいだった。

当時まだ小学5年生(10歳〜11歳ほど)のことだった。

卒業までの年がつらかった。誰にも言えずに、ただ「なんかあの子変だから」といって嫌われたり、避けられるのがかなしかった。しかし、それでよかった。「みんな、わたしから離れて」と、まるで病原菌というか病原体を集団から引き離すかのように、地元の中学で過ごす先ゆきに絶望して、遠くの学校に受験して通うことになった。例え絶望が待っているとしても、なにが起こるかまだ分からない、先ゆき不透明の夢の世界だったから、それが心をいちばん楽にしてくれた。結果として変わらないのだが。

ーーすべての選択が、のちに私の運命を変えることになる……。


散文(批評随筆小説等) 人生最大の闇 #2 Copyright a i 2021-02-01 10:05:37
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