美しいヘマのしでかし方
ただのみきや

散策思索

イモリの仔の孵る日差しを思いながら
心当たりのない手首の痛みを弄ぶ
晴れた寒い昼下がり
氷結した河口の端を恐る恐る渡って行く
至る所に鳥や狐の足跡
人のはひとつだけ
雪から突き出た雑草や流木
その手触りを手袋から出た指で確かめる
白紙のはずれ 大楽毛おたのしけの海岸
ここちよく脱色される
貝殻や海藻
よくわからないゴミ
雪原と砂浜の境目まで何回かに一度
波は足をしゃぶりに来る
ところどころ氷の塊が
閉じ込めきれずに太陽を洩らしている
見渡す限り誰もいない ただ
かもめ からす とび せきれい
春が来る前にここを去る
文脈から逸脱した日々
――ではなく
広い余白の中にただ一行
置き去りにされた詩のように
書くことで二重に存在し やがては
懐かしい知人と化してしまう
雲雀の鳴くころ目を細めている
わたしはいったい誰か
まして他人が読むわたしなど
読み人の影を映す文字の素体だ






しっぽ盗り

頭上でひとつの鍋が煮立つ
鍋が煮立つのは頭のせいだ
頭は債権者であっても所有者ではない
すでに魂は破産した

思考は頭上に罪過を積み上げる
逆ピラミッド型に天高く
奈落への迷路が螺旋に穿つ
着飾った棺 裳裾に忍ぶ風

雪 月 紙 骨 みな白く
皮を剝がれて血は赤く
心はこころを見つけられずに
肉体のそこ彼処「もういいよ 」の声

言葉の前で自分をたぶらかし
門をくぐればさめざめ雨
失くしも落としも盗られもせずに
ふり返る門の裏 同じ言葉の知らぬ顔






レコード

天秤に乗せられた二つの時間が
互いの波紋で殺し合う
聞こえるのは血の汽笛ではなく
氷に走る亀裂
腕を折られても微笑んだままの
死体に咲いた感嘆符

わたしの中に鉄の線路はない
燃え立つ窯も黒い機関車もない
あるのは冬の樹木の中で凍りつく水脈の絃
枯木を裂く沈黙の膨張

だが列車の幽霊が夜更けに訪れて
わたしの真中を突き抜けて行く
闇の中に赤黒く 鉄の窯を
熟れた心臓のように灯し
わたしを真中から挽肉にする

かつてわたしの鎖骨は父の鉄屑だったが
有機溶媒がそれを亡きものとした
わたしの中の太陽はいつも冷たかった
月と色が違うだけの幼子の絵のように
昼と夜は撹拌されていた

押入れの中にはアケビがあった
その膿んだような実は口を開け
透けた果肉がうつろな無数の眼でわたしの恥部を採寸した
逃げ場もなく谷底に落ちる鹿のように
宙の全てが瞳孔だった
決して羽化しない蝉の仔 大地の胎児
コールタールの夜がわたしを塞ぐ

自動車は友好的ではなく
わたしの時間は草木や虫のそれだった
わたしは愛着故に野良猫を重い木箱に閉じ込め
それを後悔して眠れなくなった
坂に向かって雪だるまを押し上げるように
良心はいとも容易くわたしを圧死させ
群がる鴉はみな猫へと姿を変えた

幾つもの時間が波紋を競い
幾つもの意識が互いを打ち消し合う
澄んだ海の底から響く鐘の音
記憶を語り出そうとした口を押し広げ
黒い機関車が飛び出して来た
石炭をたらふく喰らって窯は燃え
後から後から客車を引いている
わたしは泣いた
眼より上の頭は雲に溶けて
ゆっくり視線は捻じれて行った

鼓動を枕に血を遡る
わたしは一枚の黒いレコード
穿たれた空白を芯に世界を逆回転させ
外から内へ 割腹の針は
襞の奥に隠された秘密を探り出す
軋みや嗚咽を翻訳し
中心の果て 消息を絶つ



                   《2021年1月30日》











自由詩 美しいヘマのしでかし方 Copyright ただのみきや 2021-01-30 16:49:57
notebook Home