隕石のながい尻尾
道草次郎

「プロローグ」



 これからここに記すそれぞれに違ったかたち(そして切れ切れの)でのエピソードは、俺が或る月のない晩、夜気に頬を冷まそうと戸外に出た折に、まったく偶発的に何処からか送られてきたものだ。
 それははじめ、黒い地下道のような気味の悪い夜を透過してきたイメージを俺に与えた。それからしばらくしてそれは結晶化した太陽風の印象を俺の頭蓋の井戸に落としていった。じつに変容力のある多彩な情報が、たちまち、俺の脳に原色の夢のような痕跡をとどめた。 それはまるで、金属のあげる喘鳴、正立方体の宿痾、あるいは石膏ボンドの困惑という一見何の連関も無さそうなイコンをばらばらに並べたかのようだった。どのような修辞文句がふさわしいのか、そもそもそれを形容する語彙などはいかなる万感の書を以てしても見つかりそうに無いものだった。
 いずれにしろ、少なくともそこには、地学と煉獄への献身的もしくは悪魔的な試みの痕跡が薄っすらと垣間見られはした。もっともその時の俺にはまだ、そのイメージが自らの裡に惹き起こすであろう様々のめくるめく消滅や、無へのあてどない旅程などをうけいれるべき土壌は整っていなかったのだが。





 「遡行」

 その息苦しい暗室には夥しい濃藍色の空が立ち込めている。そこは目張りされた時空の隠し部屋で、幻視された窓は時々ため息をつく。それは、錆びた冗談だった。密度を保ちつつ諧調を下る意識だけがそこにはあり、真ん中では銀色の服を来た猿が黙々とタイプライターを打ち込んでいた。

 際涯であると同時に極点でもある大陸。或いは、微生物の透明な意識で編んだ饒舌な舌。それは他のあらゆる島に生き写しだったが、他のいかなる空とも似ていなかった。微かな綻びが見られた。綻びは徐々にその大きさを増し、楕円星雲に似た空洞となった。その空洞は轟とともに近づいてきた。濃藍色の空を雲が物凄い速さで流れていく。それは早回しのフィルムのようであり、既にミニチュアめいた景観をなすその全容は全く恐ろしい出来事のようであった。気が付くと吹き荒ぶ強風が襲い掛かり、めくるめく時の襞がその内部へと無限のドミノ倒しになった。かと思いきや、浮遊黴が咽頭の関所をかいくぐり肺胞へと到達する。意識という陋屋はその時、正十二面体構造の相似形を直角し擽ったそうに転げまわる。それは跳ね、飛び上がり、スピンし、振動すると同時に沈思の砦に自らを自縛する。あたりを見まわすとエメラルドグリーンのきな臭い空。ここは今どの辺だろう。ジュラ紀層をやっと掠めたばかりだろうか。俺は古代の清流に沿って飛んで来た、余りにも脆い一匹の蜻蛉でしかなかったようだ。




「海に降り注いだ微小隕石」

クリスタルの上老い臥せる石造りの街

逆再生される雨と殺人

薔薇の眼窩

栗鼠


スナフキンの屍骸

丘陵を穿つ
アリス

アルデバランへの旅程
二百万年

曰く
母は肺魚だった



「超古代神殿と最後の詩」

 白亜紀末期の地球。その何処かの丘に一個の巨大な宮殿のようなものが突忽として浮かび上がる。この時代の豪奢なる星月夜の饗宴がたけなわの折である。夜陰に忍びよる小型爬虫類どものエメラレルドのような双眸が、凝然として丘陵を視つめているその時である。いや、それを宮殿のようなものと形容したのは間違いだ。その超越的な偉観を前にしては「神殿」と呼ぶのが相応しい。

 その「神殿」の入り口とおぼしき場所に一冊の古びた革製の本が置いてあるのが見える。その本には、不釣合いの真新しい帯がついており、そこには細かい横文字で次のように書かれていた。



 「最後の詩、その書き方」―本書を手に取られ
 た誉れ高き詩人のみなさん!その鬱屈とした
 詩作に対する危機感を解消して差し上げます。
 つきましては本書第四ページの解説からお読
 みください。なお、本書が刊行されましたの 
 は、今からちょうど六千五百万年後にあたり
 ます。そう、あなたの一度目の死その日です」





「贋古詩」

おおっ、
壜詰めされし北極星よ。
アキレスのふところに抱かれし
我らに、
科学と魔法と原潜の
けざやかなる
竪琴の祈りを与えよ




「観察」

「や、あの人はどうしたのだろう。あの眼差し、ちょっとただの狂人とは思えない。手を挙げている…だとしたら何に?つまり彼が何かの対象を想定もしくはそれが実際に存在すると思い込んで、それに対して自らの意見を言おうとして発言の許可を待っているとしたら、その意見を言おうとしている相手、その対象物とはいったい何なのだろう。彼の視線はあの醜悪な色合いのけばけばしい看板を向けられているが、それが彼の対象物である可能性は、彼の眼差しの深みに鑑みてほとんど否定されるだろう。そうであるならば彼は何を見ているのか。看板の向こうを透かし見るある種の透視能力を彼が仮に有していたとしても、看板の向こう側には同じような醜悪なコマーシャルばかりが連なっているばかりである。おそらく彼は見てはいないのだろう、何ものをも。ここで視線と思われたものは、じつは精確なポーズのためのただの副産物に過ぎず、肝要なのは他ならぬそのポーズそのものなのかも知れない。挙手、と見えたものにもこの推論は当てはまる。それは挙手に見えて挙手に非ず、だ。よって本当は彼の(対象物に対する)意見などははなから存在しないのだ。しかしこれでは問題が解決するどころか元に戻ってしまう。彼がそのポーズをとるのは何故なのかという、結局は最初と同じ疑問に突き当たってしまうからだ。」



「階層環」

その背中をくたびれた象は登り
またその背中をくたびれた鯨は登り
またその背中をくたびれた飛行船は登り
またその背中をくたびれた半月は登り
またその背中をくたびれた小惑星帯は登り
またその背中をくたびれた白色矮星は登り
またその背中をくたびれたベテルギウスの赤色超巨星は登り
またその背中をくたびれた銀河系渦状腕は登り
またその背中をくたびれた銀河系ハローは登り
またその背中をくたびれた局部銀河群は登り
またその背中をくたびれた超銀河団は登り
またその背中をくたびれた超空洞(ボイド)は登り
またその背中をくたびれた果てしなく膨張続ける宇宙そのものは登り
またその背中をふたたびくたびれた男は登り
また



「蒐集家」

 台座の上の青銅器、イチジクの実、七つ葉のクローバー、大部分のページが散逸した古代図書、チョークの粉にまみれた獏の剥製、色褪せた数世紀分の星座表、蜘蛛の巣の張った骸骨、 鉄製の什器、山高帽が掛かけられた一角獣の角、頑丈なマホガニーの机、無限にループする古代王朝紋章のホログラム、呪文の刻印が施された壁紙、銀髪を靡かせる乙女のイメージ、白馬のイメージ、回転するマゼラン星雲の遠景…
 ああ、何もかもじつに白々しく見える。これらの珍奇な物品、かつて憧れ畏怖までした古の導書(分子生物学の経典。主に、術者が体細胞形質転換を行う際に不可欠とされるたしなみと、ヌクレオチド配列の神的無限性を説く)さえすでに輝きを失って久しいのだ。鎧戸を閉ざした窓外に、行商人の耳障りな訛声だけがこだましている・・・
 
 街路には黒山の人だかり。先週初めに雪崩れ込んで来た避難民の為、王国政府が臨時で設けた職安所に列ぶ行列だ。表通りの花壇へとズカズカと踏み込んでいく彼らのブーツが、真っ青な薔薇の花びらや虹色の棘を踏み躙るのは必至だろう。頭上では、崩れかかったギザギザの翼棟が、高層ビルの滑らかな肌を脅かしている。カーテンを引く。黴臭い匂いがたちこめ鼻孔をつくが胸は安堵に満たされる。おそらく都の西の彼方には、ちょうど平行分岐線(詳細は不明だが、常に動的である王国の、唯一ではないが、それほど多くはない進路指標の一つであると考えられている。線であると同時に、それは点であり、目に見えぬ多次元世界の三次元的投影でもある。n次元領域におけるある種のズレを補正するための調整機関であるとする説もある。)の巨大な溝(仰向けになったレビヤタンの腹に似ている)が姿を現し始めているだろう。そしてはるか上空、大気圏の裾野には巨大な飛空生物が浮遊しているはず。いや、非生物かもしれない・・・・もっともそんな事はどうでもいいことだ。

 気分を変える為にベランダに出てみることにした。ベランダは街路とは反対側の西南の区画に面しており、沈みかけた夕陽がいままさに斜めから差し込んでいるところだった。手にしたリキュールが赤紫に染まる。グラスが風になぶられると血の海が美しく揺らぎ、そのたびに、むかし恋人と行った炎海(千年に一度だけ現れる幻の海。いくつもの河川が同時に増水するとき、広範囲にわたって生じるデルタ状の擬似海。水の色は普通)ほとりでの事が思い出される。







自由詩 隕石のながい尻尾 Copyright 道草次郎 2021-01-27 20:04:06
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