あぶくみたいに湧いてきた謎のものたち
道草次郎

「石か水たまりか」

放物線を描いて水たまりに落ちる小石が起こす波紋が言葉だとしたら、その言葉は石の言葉か、それとも水たまりの言葉か。


「謎」

数年前知らない街で車を運転していて道に迷い、ガソリンをだいぶ浪費してしまった。そのことが何故かいま申し訳ない。いま、たったいま不意にだ。


「賞」

それでもやっぱり賞は欲しい。賞金も欲しい。けれどもやはり賞などいらない。賞などいらないが賞金は欲しい。いや待てよ。賞金すらいらない。希望が欲しい。つまり、全てが。


「来歴」

ほんとうのぼくはどこにもいない。かつてみたそぐわない詩の夢は鉈の味がした。黴臭い洋書に跨り父のさけめを悪言でやぶいた事もある。ぼくは縦書きの訴状だった。ぼくは横書きの令状だった。残像の波がさらったしめった庭に記憶のドクダミは蔓延った。思春期は瞬く間に荼毘に付され、軽い精通とともに朽ちてしまった。またある時のぼくの喉ぼどけには海蛇が泳いでいた。アクアマリンの地下室へ墜ちたのはたしかヘール・ボップ彗星だったと思う。沈黙。いつも沈黙のまわりにもう一つの沈黙があった。きえてはじめて水となるもの、それは人だった。或いは二十三のぼくだった。強面の思想は氷柱をさげ、表明してもさしつかえない範囲で自己愛を二十六のぼくの頬におしあててきた。あれから、巨岩のような歳月がメテオのように降り、ぼくをあばたの月にした。そぐわない詩の夢もいつしか萎え、それは錆びついた匕首にすり替わっていた。もとめ築いたものをうしない、うしなうことの傲慢に、魚や銀河、丸窓や汽車の幻影を投射し阿片の夢にたゆたうフリをして、気付いたら両手いっぱいの腐乱した来歴。どよもすような轟きは今、胸底の空に龍のように飛乱している。それは未来をくろがねの釜の底に変えた。煮え立つ釜だ。だが、ほんとうのぼくは、やはりどこにもいない。それだけが変わることなく、絶壁をなし、眼前に立ちはだかっているのだ、美しくも残酷な断崖として。


自由詩 あぶくみたいに湧いてきた謎のものたち Copyright 道草次郎 2021-01-25 00:11:28
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