錯乱と円環と
道草次郎

どんなに弱いか
ぼくがどんなに卑屈か知ったら
みんなぼくを傍に置いてくれるのだ
それがけっきょくはこの世界
世界の優しさは残酷だ
ぼくのりせいは
りせいと呼ぶにはあまりにみにくくて
それは自己愛だろうか
よいじこあいとそうでないじこあい
そのどちらかな
でもねじつは何もかも
詩だってなにもかも
考えすぎな苗床に咲いた花だよ
そしてぼくは狂ったふりを
死ぬまで続けていくんだろうか
そうして全部をダメにしたあとの
賽の河原の夢ばかりを
ここ3日ばかしみてる
ぼくはもう自分の口から発せられる鳩のオリーブの葉を信じられないし
でもそういう気持ちもいっときのものかも
かんがえようでは
大したこともなくって
べつになやむことじゃない
こうして詩をかいていても詩はこの詩に
すでにあきれていて
あなたはあなたにとって大事なものに
どうぞ集中すればいいんだ
しかしよく出来ていてひとを楽しませりなぐさめたり
するものはなんていいんだろう
たとえばホッカイロなんてすばらしい
ぼくは真剣にホッカイロに匹敵する詩を
書こうとしたことがある
でもむりだった
こういうことを馬鹿とおもうのは
しあわせな人間だ
ぼくはほんとうに自分が救われたかったし
できれば他の人だってすくいたい
ところで
いったいどこへいけばこの頭を
なくせるんだろう
ぼくはまっさらになることが一番だとおもう
つまりは死ぬこと
しかしこれは危うい考えだ
ひとりで始末をつけられることなどない
ぼくはぼくの葬式の心配をする
独在性というのを
あんまりかんがえることは幼いひとたちを
なかせるよ
だからぼくはぼくの死後のあることを信じる
つまり
しんじることの根っこはあわれに相違ない
このようにぼくの錯乱は
円環をとじる


自由詩 錯乱と円環と Copyright 道草次郎 2021-01-21 09:58:48
notebook Home