漂流
道草次郎

「漂流」

気が付くといつも善悪の島に流れ着く。



「地球動物園の《人間山》」

自分にどこか似ているが自分より脆そうな猿、そんな猿がいると、猿は安堵する。そういう猿の存在が猿山での退屈な一日を乗り切らせる事が実際にあることを猿は知っている。その猿も他の猿にとってのそんな猿であり、他の猿もまた別の猿にとってはそんな猿である。どの猿もが他の猿にとっての不足した猿であり慰めの対象なのだ。みくびられ侮られ、ときには糞を投げつけられた者は、みくびり侮り、投糞をした猿への報復をすでに果たしており、それでいて常に報復の脇差の餌食にもなっている。その報復の応酬を猿が眼前の猿との関係のみに見いだす場合、大抵、猿は眼前の猿との間に不当さを感じそれを憎むのである。猿は猿山にいる全ての猿が見えない紐で繋がれていることになかなか気付かない。その紐にアクセスし猿山全体を感応する能力を有した猿は、猿山において疎外される確率が高い。猿山を成立させるメカニズムは、猿の関心が眼前の猿との関係に終始することを要請する。



「部屋」

遠く遠く来たと思っても、劣等感の部屋で縮み続けていただけかも知れない。



「おれはふと」

おれはふと知った おれは毎日のように おれが全く自分がひとりぼっちになるであろう未来へと ひとりぼっちで無かった時の倫理観を そのまま 当たり前のように送信していると この軛が 俺の毎日を殺している そして 毎日というのがあるだけで 未来とはいつかのその毎日だ おれはだから 毎日 未来を殺している おれは ふとそう知ったんだ ふと


自由詩 漂流 Copyright 道草次郎 2021-01-09 08:59:09
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