冬の花びら時の河面
ただのみきや
冬の朝顔
白い背表紙の本を開くと朝顔の種が落ちて来た
種は発芽して瞬く間にわたしの妄想に絡みつき
ひとりの女の形を編み上げると濃淡を宿す紫や白
水色やピンクの花を幾つも付けたのだ
脳に直接甘いリキュールを注射したみたいに
狂気は炎の蝶の囁きで恋の詩を書かせよう誘惑する
朝顔をビードロ状に咥えて裸で幾日も過ごした後
わたしは本棚の奥から黒い背表紙の本を取り出した
それが地獄の始まりだった
舌足らず
にわか花
うつろな煙の顔にふっと
それが欲しくて
灰ばかり
どうかどうかと
牡丹餅黴て
欄間の段
カゲロウ死んだ
うわの空
月の下で
円い猪口
草深い声で
市場の魚の話をしたり
酒のしたたり
したり顔の舌足らず
仮面
濁った川にぬっ と浮かぶ
謂れを失くした面がある
懐かしむようで戸惑うような
縋るようで 命じるような
剥ぎとられて生乾きの
目も鼻も口も定かではない顔に
川から拾ってあててみる
大きな絆創膏でも貼るように
途端に馴染んで
何者かの生が流れ込んで来る
仮面の数だけ生はある
仮面のための身体となって
夢想
白紙になりたい
書き続け
書き終わり
見開き一面の白紙
盲人
盲人でなければ
一冊の本を暗闇で読むことはできない
見えている者は
見ているものの内壁を手探りで訪ね歩くことはない
それが何かを知らない者だけが
無垢な心で味わうだろう
だがいったい何を知っていると言えるのか
言葉で説明出来るというだけで
物語
朧げに光を宿す
摺りガラスに
隔てられ
愛し合った
血と冷気
捧げながら
奪われて
駆け引きを知らない
朝の空
滲むこころのまま
*
一本の樹木の中を水が巡りながら上昇するように
わたしたちは互いの回廊の内壁を蔦となり蛇となり
上って行った
無数の手の囁きが踊りのように
濁った水に映った顔をあやしていたし
雪は光を石灰のように撒き散らし
青くくぐもった凹凸は死者を装ってもいた
苦痛や悲しみを忘れられる
狂女の微笑みにも似た恵みの季節
奪って行った どこか遠い彗星が
黙したまま血の軌跡を延々と引きながら
赤子を抱いている
気が付けば
頬ずりして
顔を埋めるぬくもりの
日蝕に
沈む眼が裏返る
後頭部を透過して遡上する
*
溢れかえる瞬間と記憶だけが熱い涙のように
時の塔を滑り落ちてつめたい冬の真中へ
離れ離れに生まれ落ち
見知らぬ二人になって
自己という違和感を取り戻して行く
浮浪者が襤褸に包まって眠るように
胎児は月になる
わたしたちの
こめかみに触れる囁きが
朱い実
すっかり葉を落としたナナカマドの枝先で
実は房となって揺れている
太陽の血を含んだ朱い結晶
野鳥たちに捧げられ その翼で運ばれて
親は子を知らず 子は親を知らず 脈々と
灯り続ける実の朱が空の裾を手繰っている
《2020年12月27日》