滓図書館
道草次郎
色々なものを抱えた人らが
集まってきて一同にかいするのが習わしだ
そしてあいさつをする
今日一日の段取りの説明やらがされる
ホイットマンはたしか
詩に、なんで我々は互いにすれ違いざまに交接し合わないのか、と歌い上げたと記憶する
若かりし頃
ホイットマンを信奉し
それに従い
人を集めてこう言ったことがある
「すくなくとも俺はくずだ。くずが、くずなりにいきていくことをしていこうと俺はおもう。おれは今まであんたらよりたくさんの本を読んできたと自負するが、なんのやくにもならなかったが、それがあんまり役立たずだったもので今はかえって半狂人のようにこうしていられる。俺はニーチェもよんだし、エマソンもよんだし、もちろんホイットマンもよんだ。それから、県立図書館の思想史のコーナーの端から端までよみくさった。そんな俺をどうおもう?死にやがれとおもうか?そうおもうなら、おれはあんたらとこれからたたかうだろう。そういう闘いをそれらの書籍は推奨していたし、また別のもっと陰惨な棚にはそれらの闘いを記した年代記もあった。俺とあんたらの闘いは俺の呪わしい図書館の新しい幕開けだよ。親愛なる友。」
俺はあの時からかわらない
俺は相手取って、自分もまわりもずた袋につめて歴史と戦争を疾走していくのがすきだ