答えって、もう、出てる
浮蜘蛛
人間はどう生きるべきかとか。
差別へどう向き合うのがよいのか。
なんかの。
答えって、もう、出てる。
お金を稼ぐ意味とか。
自分が社会とどう、関わっていけばよいのか。
なんかの。
答えって、もう、出てる。
生きる事に意味があるのか、とか。
人間にとって一番大切なものは、なにか、・・・とか。
なんかも。
・・・その答えって、もう、出てる。
前の時代の人間が生きて、
ぼくたちと同じように考えて、
悩んで、
また考えて、
生み出した考えに触れると、
大抵の答えって、
もう、出てる。
哲学・宗教、それらの書物を読み、
その人間が何をいいたいのか、
その人間がどう変わっていったのか、
その人間の中にあるものは何なのか。
それを少し考えると、
すぐ。正解にたどりつく。
人生の正解に。
すぐ、たどりつく。
でも僕は何か、腑に落ちない。
物足りない。
ほかの書物を読んでもこんな気分にならないのに人生の答えを人から教えられるとなぜかみてはいけないものをカンニングしたような不正をして利得を得たような不思議な罪悪感に苛まれるのは自分の人生は自分で経験して自分の人生に対する答えを得たいという心象の表れなのかそれとも人と自分は違うと日本人と他国の人の考えにはやっぱりどうしても一部に共感出来ない要素が感じられることがあるからなのかそれとも自分が思っていた自分なりの考えより先人の考えがまとまってたり示唆的だったりする点が気に食わないのかそれとも元々人から教わることに抵抗を感じる傾向があるからなのかそれとも、
やっぱりもう少しで答えが掴める、ってところで、
先回りして教えられてしまったという感じがするのが、
気に食わないから、なのか。
人間はどう生きるべきかとか。
差別へどう向き合うのがよいのか。
なんかの。
答えって、もう、出てる。
生きる事に意味があるのか、とか。
人間にとって一番大切なものは、なにか、・・・とか。
なんかも。
・・・その答えって、もう、出てる。
答えって、もう、出てる、けど。
まだ、探したい。
やっぱり、探したい。
模範解答、なんかじゃない。
自分の、
自分なりの、
答えを。
・・・探したい。