ずるずる
後期
娘はクリームソーダをずるずると啜っている。そのずるずるが気に障るので、やめろと云うと、ストローを離し、唇にあてた。でも小さい娘には、硝子の容器が大きいので、両手で持っても飲みにくそうだ。「ほんと意地悪なおとーさんだね 」「いいからストローでお飲みなさい」ばぁさんが、云う。さっきまで、碌でもない壺を、売りつけようとしていた古狸だ。わたしは思い出した様にこう云う、「あんたんちの庭には、なんで、鳥居があるのかね?」
「凄いだろう」「いや 怖いよ」小さいながらも紅い鳥居が、ばぁさんの庭にはある。それが、窓から見える。「神聖な壺だよ」「また 振り出しか」私はついでに立ち寄っただけで、長話をしている暇はない。「ほんとに、あんたのおとーさんは、意地悪な人だよ」「万馬券当てたくせに」横で、ずるずるが、また始まった。話して分からないなら、ぶっ飛ばすしかない、と、娘を見る。娘はちょっと眼を離した隙に、成長して、いっぱしの色女になっている。どうも、ばぁさんとぐるらしい。これはちょっと待てよ、煙草を燻らしながら、眩い窓の向こうの往来を見ると、獣じみた老若男女が入れ替わり立ち替わりしている。騒々しい。店の扉が勢いよく開いて、少年が駆け込んで来た。小脇に抱えた紙を店内に散撒いて、去って行く。号外なのだと思う。手に取ると白紙なのだが、ついに戦争か…と遠方の弟の事が気になりだした。ばぁさんが、にんまりとして、指を四本立てる。首を横に振ると、三本になり、後生だからと、身を乗り出してくる。クリームソーダも尽きただろうに、娘のずるずるは、なおいっそうのずるずるさを増し、申し分の無い娘だと思うが、首を横に振っていると、指が二本になり、振っていると、一本になった。「もうこれ以上、指は折れないよ」。そりゃそうだろう。だが、首を縦に振ったなら、その時こそ、此方の正体がばれてしまう。それはこいつらの思うつぼじゃないか。窓を見ると夕陽に照らし出された往来が、べったりと赤黒く塗り潰されている。一見、それは、恐ろしい程の静寂を見せているが、騙されてはいけないと、私は身を固くしている。息づかいだ。待機の姿勢の、息苦しい大勢の鼓動が、潜んでいる。踏み込まれてなるものか。ずるずる。ずるずる。この時とばかりに、娘は虚空を啜り上げてくる。ずるずる。ずるずる。ずるずる。ずるずる。私は首を横に振り続ける。