悲しみは理由を求めている
ただのみきや

最悪について

第一に
記憶と紐付く負の感情一色に染まった景色を満喫しながら
自ら最悪だと帰結する狭く閉ざされた思考の環状線を延々
巡り続ける一人旅

第二に
自覚のない最悪人間が身近に存在し積極的に向こうから
関わって来てどうにもそこから逃げ出せないという状況

第三に
純粋に肉体的な最悪の状態 
病や虐待拷問などによる苦痛 強度の二日酔いも含む


第四になによりも最悪なのは
心当たりがまるでなく自分でも理由のわからないまま
漠然と死にたくなるほど全てが最悪に思えて仕様がない状態

第五に
慣用句として「最悪」あるいは常套句としての「死にたい」
日常起こり得る不快な出来事に対し反射的に吐き捨てたり
呟いたりする 苦みで不快を相殺して爽快感すら得んとする
仁丹常習者の行為と近似





悲しみ

逆光に目を細めながら
わたしはリスを見ていた
住宅地の真っ赤に染まった生垣を
出たり 入ったり
素早く そして 不意の休符
確かにあれはリスだったが
わたしは憂鬱で悲しかった
消し忘れたランプが太陽の下
ぼんやり油切れを待っているように
叱られている子どもが何気に
糸のほつれを引っ張るように
わたしはリスを見ていた
リスなどどうでも良かった
他に術がなかった

 *

ゆるゆる透けて覚束ない雪のよう
二人の心は頼りなく
重さの推し量れない
透明な立方体の前で
無力な場違いな生き物だった

 *

にわかに想いは泡立って
そう 泡になって消えた
残ったものは
気の抜けた記憶 空ろな心
後を引く苦味

 *

プランクトンのように白く
刻々と時は死に堆積する
わたしの瞳
夜より暗い洞窟から
さやさやと揺れる
柳に影はどこにもなく
冬の日差しが纏わって
デコイへと変わり果てた
鳥たちの沈黙は
地面で羽根を折り
見交わす瞳を求めたが
人さし指の背が割れて
痛みの羽化が始まると
迸る血の愛おしさ
狂ったように逆流して
涙は出口を見失い
ゆっくり溺死する
むくんだ心は
足し算も引き算も出来ない





膨張と収縮

景色の皮を剥ぐ
沈黙はすべてを肯定しすべてを否定する
神経組織を巡る蛇 風の中に倒れた男
春の殺戮に晒される液状の夢
硬い皮膚下を移動する蛇
飢えた路上の指紋
骨髄に添えられた氷山の魚
活舌武装した楽団の黄色い陰鬱
スケートを履いてあふれ出す
時間との敵対を保証する
冷蔵庫の咽頭とラジオの永遠性
言語的よだれが鍾乳石に至るまで
胎児の缶詰の消費期限が切れることはない
小舟で下るオルゴールめがけて煉瓦を投げる
老いた駝鳥の眼球に梯子をかけ
腐乱した太陽を被っている
かつて語学教師だったピクト記号
フライフィッシングの軌跡
死を孕んだままの飴色の記憶を裂くと
小奇麗な女の感情の釣銭が赤と緑で
一斉に歩道を逃げて行く
品性のレシピを新聞紙で包んだ
露出狂の紳士が防犯カメラで
赤ん坊と母親を物色している最中
閉店したコンビニでは
位牌とサラダドレッシングが交配し
毛繕いを済ませたなにかが
黒々とわだかまっていた
発音できないエノキのような
偽ひらがなに侵食されて
脳は座標を次々失っている
歪な殻の中
入子状の夢から浮上を開始する
塩漬けの自我
解凍されて
孤独の振子で歩き続けるしかなかった
同世代の盗掘者たち
冬の鴉の眼の中の幻想の炎が
白く嵐のように膨張する
わたしたちは熟し切った眼球
溶け落ちて
夜になる前に闇になる





自分

後付けされたものすべて
剥いで削いで取り去って

時代的文化的背景
――忘れてしまえ

家系や家族の影響
呪縛やトラウマ
――自由になって解放されて

すべての教育
影響や憧れ
――アクセサリーや勲章を外すように

人生にきつく食い込んだ鎧兜
思想や処世術
――その場で脱ぎ捨てろ

社会的責任や世間体
――背荷物を下ろすように

いつからか身に付いていた仕草や口癖
――完全消去

食べ物の好み
――リセットボタン

裸の 素の 自分
なにが残る

難民のように痩せて
ぽっかりと黒目の開いた幼子か
天使の如き純粋無垢な神の子か
本能のみの毛のないサルか

なにも残りはしない

自覚もなくたましいは空虚な風のよう
この無益な集積と縺れこそが「自分」
わたしの憎む愛して止まない「自分」





無力

教会の裏の駐車場
置かれたブロックに腰をかけ
高い声で歌いながら
シャボン玉を吹いていた
小さな背中

葬儀でいい子だったのに
弟の棺が炉に入れられた時
始めて暴れて泣き出した
ふっくりあかい頬

面会時間を終えて
戻る後姿の
入院着が大きすぎて
あまりに華奢で痛かった
四年生の頃の背中

家庭裁判所の椅子の上
裁判官に問われて
泣きながら必死に言葉をつなげた
固く張り詰めた十三歳の頬

今わたしの問いかけに
幼い頃と同じように言葉もなく
辛そうに俯いているおまえに
重なって見えるのは
楽しい思い出ではなく
内から突き破るような傷みばかり
大人になったおまえが
また幼子に戻ったようで
切なくて愛しくて
なす術もなくて
一緒に飲むことしかできない
解決も結論も棚上げしたまま
飲んで笑うことしかできない



                《2020年12月6日》










自由詩 悲しみは理由を求めている Copyright ただのみきや 2020-12-06 01:11:18
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