詩投稿板「文学極道」の閉鎖に寄せて
一輪車

「文学極道」という詩の投稿サイトが閉鎖されることになった。
正直、最近はろくでもない詩しか投稿されなかった。
そのなかにはわたしの詩(もどき)もある。
反省なんかしない。
ろくでもない詩だが、それがわたしの限界だから、弁解もしない。
ただ、ほんのすこし申し訳なくおもっている。

コメント欄もひどくなるばかりであった。
だれであれ身元を問わず自由にコメントができたから、精神に異常があるとしか思えない
ストーカーもどきのめちゃくちゃな誹謗中傷デマ差別暴言も自由だった。
しかし、このこと自体は美談だとおもっている。

いまから二十年以上も、いや、もっと前か
わたしが京都市内に住んでいたころ、下京区の図書館に
いって、本を借りたことがある。
身分証明書などを用意していたが、驚いたことに
受付の職員が静かに発したのは次の一言だった。
「京都市民ですか」
わたしが「ええ」とうなずくと、それっきり、だまって
貸し出し手続きをはじめた。
身分証明などは必要なかった。「はい」とうなづくこと
それだけが必要事項だった。
わたしがウソをついていたらどうするのか、などとは
いっさい考えていないようだった。
わたしが「はい」といったらそれは「はい」なのだ。
正直、感無量だった。
借りた本を前かごに積んで、屋根瓦のつづく京都の落ち着いた
たたずまいをみながら自転車に乗って家に帰った。

文学極道はそういうことをやって、結局、ぼろぼろになった。
投稿者やコメンターを信じていたから、だれであれ投稿と書き込みを許した。
精神に障碍を抱えている人達があふれかえる今どきのご時世にそんなことが通用する世の中でないことは
一目瞭然だが、それをやっていた。多くの人たちがコメントの過激さに傷ついて去っていった。
去るのは去る者にも原因と責任がある。だから、
それでもそれを続けていた。
とうぜん、ぼろぼろになっての閉鎖は宿命だったともいえる。

しかし残念だ。
たとえばビーレビのようなところは入会にいろいろ手続きがある。ああいうところはもう
それだけで詩の投稿板として最初から終わっている。
これから世界的に行われようとしている個人情報の一元化と人間の信用度の格付け、
驚いたことに世界人類一人ひとりに信用スコアがつくというが、ビーレビのようなところは
その雛形でしかない。詩の投稿サイトでもなんでもない。文学を冠した、ただの人間収容所だ。
あんなところに詩を投稿しているニワトリたちの気がしれない。
もとい、ビーレビなんかしょせん、そんなところだからどうでもいいやつらが
どうでもいい雑文を書いているだけだ。相手にすることもムダだ。いちいち批判しているほどわたしもひまではない。

純粋であろうとする文学的な精神は必ずこうなる。その典型のような最期であった。



散文(批評随筆小説等) 詩投稿板「文学極道」の閉鎖に寄せて Copyright 一輪車 2020-12-01 05:28:20
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